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40. 国産レーヨンの製造(久村清太・秦逸三)

展示資料は、国産レーヨンの開発を行った秦逸三(1880―1944)が昭和3年に藍綬褒章を受章した際の文書です。褒章の審査の参考として、共同開発者の久村清太(1880―1951)と帝国人造絹糸株式会社(現・帝人株式会社)についての調査書が添付されています。

明治17年にフランス人シャルドンネによって発明されたレーヨンは、日本にも明治30年代半ばには輸入されていましたが、その製造方法は機密とされ、国内で生産するためには製造法を独自に研究しなくてはなりませんでした。久村と秦は、久村が行っていたビスコース(木材パルプを苛性ソーダで処理し二硫化炭素を加えたもの)からレーヨンを製造する研究に秦が協力し、大正2年に製造に成功しました。

レーヨンの国産化に将来性を感じていた鈴木商店の金子直吉は二人の研究に着目し、大正4年米沢人絹製造所を開いてその製造を支援しました。製造当初は外国製に比べ品質的に未熟だった国産レーヨンでしたが、第一次世界大戦により外国糸の輸入が減少したことを受けて高値で取引されたことなどもあり、次第に生産を軌道に乗せていきました。久村と秦はその後も品質改良に努め、会社が大正7年に帝国人造絹糸株式会社となってからは、広島に工場を設置するなど、本格的な生産を行いました。

正七位秦逸三外一名褒章下賜ノ件
故久村清太位記追賜の件
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