ここから本文

41. 真珠養殖法の発明(御木本幸吉)

「真珠王」御木本幸吉(1858―1954)が、苦闘の末初めて真珠の養殖に成功したのは明治26年のことでした。

御木本は、三重県英虞湾のアコヤ貝の乱獲による絶滅を危惧し、貝の養殖を始めましたが、やがてアコヤ貝を使った真珠の養殖を思い立ち、明治23年より東京帝国大学教授箕作佳吉等の指導を受けて相島(現・真珠島)で真珠の養殖を始めました。真珠の養殖は、アコヤ貝が体内に侵入した異物を外套膜から分泌された真珠質で包む性質を利用し、貝の体内に球体に削った核を外套膜と一緒に挿入し、真珠層を形成させて行います。御木本は、明治29年に半円真珠の養殖法(特許第2670号)の特許を取得、明治38年には初めて真円真珠の養殖法に成功し、明治40年には「真珠素質被着法」(特許第13673号)の特許を得ました。こうした真珠の養殖法の研究は、御木本を含め多くの研究者・技術者により様々な困難を乗り越えて進められました。そしてついに大正7年、全巻式と呼ばれる真円真珠の養殖技術が完成されたのでした(特許第33640号)。

また、御木本は、養殖法とともに明治35年の「人工真珠」(特許第5542号)等の真珠加工に関する技術の特許も取得しました。これにより養殖真珠は、加工して装飾品として販売されることで、宝石としての価値が高められることとなりました。御木本は、すぐれたデザインと巧みな宣伝により販路を伸ばすとともに、明治32年に銀座に、大正2年にはロンドンに出店し、養殖真珠を国内外に販売して真珠を重要輸出品に育てました。

展示資料は、明治38年に御木本幸吉が緑綬褒章を受章した際の文書と、昭和2年に日仏会館の研究員による日本での真珠の養殖法を紹介したパンフレットです。英虞湾での真珠養殖の様子が写真入りで紹介されています。

御木本幸吉ヘ緑綬褒章下賜ノ件
御木本幸吉叙勲ノ件
写真をクリックすると拡大画像が表示されます

※写真をクリックすると拡大画像が表示されます

関連資料

広告 御木本真珠店

写真をクリックすると拡大画像が表示されます

※写真をクリックすると拡大画像が表示されます


本文ここまで



ページここまで