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43. 亜鉛華精製法の発明(茂木重次郎)

明治11年、茂木春太、重次郎兄弟は、日本で初めて亜鉛華(酸化亜鉛)の製造に成功しました。亜鉛華は、亜鉛を燃焼などにより酸化させたもので、顔料、化粧品などに用いられます。さらに、明治13年固錬り塗料を製作、翌年開催された第二回内国勧業博覧会に出品し褒章を受章しました。

博覧会への出品を機に、当時軍艦の塗料用に国産ペイントの開発を望んでいた海軍は茂木の発明に注目し、茂木兄弟の固錬り塗料製造技術を中心に、塗料油を海軍に納入していた田川謙三、光明丹という錆止め塗料を製造していた橘清太郎の三者による塗料工業の共同事業化計画を支援し、光明社という塗料会社を興して海軍の専属塗料工場としました。光明社は、明治31年からは日本ペイント株式会社となりました。

茂木重次郎は、明治30年に純白なペイントを製造する亜鉛華精製法(特許第2842号)の特許を取得したほか、明治43年にはエナメル代用の新塗料「モテキ塗料」等のヒット商品をうみだしました。

展示資料は、明治44年、塗料開発等の功績により茂木重次郎が緑綬褒章を受章した際の文書と、茂木春太が翻訳した日本初の科学の教科書『羅斯珂氏化学』です。『羅斯珂氏化学』は、当時東京開成学校の助手であった茂木春太による、英国人ロスコーの「レッスンズ・イン・エレメンタリーケミストリー」の翻訳で、明治9〜10年に中学校・師範学校用として東京開成学校(現・東京大学)から発行されました。春太は、この他に『新化学要理』(明治11年刊)も翻訳・出版しており、翻訳で得た化学の知識が亜鉛華の発明に活かされました。また、翻訳書の印税収入は弟重次郎の塗料製造法開発資金に充てられたといいます。

茂木重次郎ヘ緑綬褒章下賜ノ件
羅斯珂氏化学
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関連資料

日本ペイント製造株式会社

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