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44. 蓄電池の発明(島津源蔵)

明治11年12月6日、京都御苑内にある仙洞御所の会場では、日本初の有人気球の飛行実験が行われました。数万人の観客が見上げる中で気球は、36メートルの高さまで上昇したと言います。この実験は、京都府が科学思想の啓発を目的に企画したもので、気球を製作したのは、島津源蔵(初代・1839―1894)でした。源蔵(初代)は、明治8年より、西洋科学技術の研究所である京都舎密局で学んだ知識を基に理化学器機の製造・販売を行う島津製作所(現・株式会社島津製作所)を立ち上げ、気球だけでなく真空ポンプや避雷針をはじめとした学校教材用の実験器具を製造しました。

息子の源蔵(二代・1869―1951)もまた、父に劣らぬ発明家でした。彼は、明治27年に父の死を受け、源蔵の名前と島津製作所を継承すると発明に打ち込み、生涯で12カ国170件に及ぶ特許を取得しました。源蔵(二代)は、ドイツでレントゲンがX線を発見した10ヶ月後の明治29年10月には国内初のレントゲン写真の撮影に成功し、明治41年に国産初の医療用X線装置を開発しました。蓄電池の部門には、明治30年頃から研究に取り組み、明治37年にクロライド式鉛蓄電池を完成させました。これは明治41年には、島津源蔵のイニシャルをとって「GS蓄電池」として販売されました。ちなみにこの蓄電池は、日露戦争時には軍艦の無線用電池として使用され、日本海海戦の敵艦発見を知らせる無線第一報に使用されて評判になったといいます。

展示資料は、島津源蔵(二代)が昭和25年に藍綬褒章を受章した際の文書です。功績書とともに、大正9年に発明した「易反応性鉛粉製造法」(特許第41728号)の写真も併せて展示しています。易反応性鉛粉製造法は、蓄電池の原料である亜酸化鉛の製造法についての発明です。

島津源蔵外十四名へ褒章下賜の件(藍綬)
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関連資料

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