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35. 村田銃の発明(村田経芳)

展示資料は、陸軍少将村田経芳(1838―1921)が従二位に叙せられた際の文書です。明治13年、陸軍少将村田経芳は、日本陸軍が初めて採用した国産銃「村田銃」を発明しました。

薩摩藩の砲術師範役として戊辰戦争に従軍、砲撃の名手として知られていた村田は、明治維新後、陸軍歩兵大尉に任じられると、射的の腕前と豊富な火器知識を見込まれ小銃の研究に従事しました。当時の陸軍には、外国から輸入した多種多様な銃が配備されており、これらの補給や訓練に困難が生じていました。そこで陸軍は、こうした状況を打開するため小銃の国産化を目指し、明治8年、村田に、射撃技術と兵器研究のためのヨーロッパ派遣を命じたのでした。約10ヶ月後留学を終えて村田が帰国すると西南戦争が勃発しており、直ぐさま村田も従軍しました。こうした西南戦争への従軍の経験と渡欧で学んだ知識を活かし、明治13年、村田は、フランス製シャスポー銃等に改良を加え「村田銃」を発明したのでした。村田はその後も銃の改良を重ね、弾丸の初速を増した明治18年式や、連発式の明治22年式を開発しました。一連の村田銃は、陸軍全体に配備され日清戦争時の主力小銃となりましたが、弾薬装填が複雑で故障が多かったともいわれ、日露戦争時には30年式歩兵銃に代わられました。

また村田銃は、砲兵工廠からの下げ渡し品が民間に出回り、猟銃として長く使われました。『傍訓図解銃猟新書』は日本初の猟銃指南書です。村田経芳が増訂。著者は、当時民間最大の製銃所として村田銃を大量に生産していた金丸健二郎商店の十文字伸介です。

陸軍少将男爵村田経芳特旨叙位ノ件
傍訓図解銃猟新書
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