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32. 乾電池の発明(屋井先蔵)

電池の発明は、1800年にイタリア人ボルタによる電池を初めとし、日本へは、安政元年(1854)ペリーにより将軍への献上品の一つとしてもたらされました。その後1868年、フランス人ルクランシェが塩化アンモニウム溶液、二酸化マンガン、亜鉛からなる電池を開発しました。しかしこれは、溶解液がこぼれるなど実用には向かず、1888年、ドイツ人ガスナー等が液のこぼれない電池、いわゆる乾電池を発明しました。しかし、ガスナー達に先立つこと一年前の明治20年(1887)、屋井先蔵(やいさきぞう) (1863―1927)は「屋井乾電池」を発明していました。

当時時計店で働いていた屋井先蔵は、明治18年「連続電池時計」の発明に成功しました。しかし、時計に使用していた輸入電池には、薬品が染み出して金具が腐食するなどの欠点がありました。明治20年、屋井は、この欠点を陽極の炭素棒にパラフィンを染みこませることで克服し、これが「屋井乾電池」の発明となったのでした。屋井乾電池は、明治25年、帝国大学理学部がシカゴ万博に屋井乾電池を使用した地震計を出品したことにより世界的に注目を浴びます。しかし、屋井が特許を取得したのは、この翌年のことであり、この頃には屋井乾電池の模造品が米国から逆輸入されていたといわれます。その後、日清戦争で軍用乾電池として使用されたことで、その性能が証明された屋井乾電池は、国内外でシェアを獲得していきました。

展示資料は、昭和3年に屋井先蔵への贈位が検討された際の文書で、屋井の乾電池発明に至る詳細を知ることができます。

故 屋井先蔵(雑部八ノ二十五)
電池工学
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関連資料

屋井乾電池 屋井先蔵(左)と息子三郎

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