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17. 国産マッチの製造

洋靴の製造のほかにも士族が興した事業には、メリヤス工業、紅茶製造、石鹸製造等、外国から導入された新しい産業が多くみられます。これは、殖産興業政策により推奨されたこともありますが、新種の事業に挑みたいという士族の気概によるものと考えられます。「マッチ」の製造も、士族によって興された産業の一つです。

国産マッチの製造・販売を本格化させたのは、旧加賀藩士清水誠(1845―1899)でした。明治8年燐製マッチの製造に成功した清水は、東京本所に新燧社を設立しました。清水が、産業振興の見地から製造法を公開したことやマッチ製造が士族授産事業として奨励されたこともあり、マッチ産業は各地に広がりました。

展示資料は、明治44年に香川県のマッチ製造所下津製燐所を興した下津永行に、追賞が贈られた際の文書ですが、下津製燐所も士族授産事業による会社を元に興されたマッチ製造所の一つでした。下津製燐所は、旧高松藩主松平家の授産金により始められた蜂蟻社が、明治19年に廃業した後を引き継いだものです。下津永行は、点火薬の改良に努め、安全マッチを製造、国内外に販売しました。

下津揆一亡父下津永行追賞ノ件
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