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25. 清温育の発明(高山長五郎)

明治期に、群馬県緑埜郡高山村(現・藤岡市高山)に「養蚕の一総大本山」と呼ばれた民間の養蚕改良のための組合組織がありました。明治17年、地元の養蚕家高山長五郎(1830―1886)によって造られた「高山社」です。

高山は、長年の養蚕研究と飼育記録を基に、蚕の成長に合わせた湿度・温度の調整とその飼育管理を行う「清温育」という飼育方法を考案しました。当時の養蚕では、コシャリという白カビが蚕に付着する白彊病による被害が大きく、農家の収入は非常に不安定でした。蚕を健康に生育し安定した収入につながる「清温育」は、画期的な近代養蚕法として瞬く間に全国に広まり、ピーク時の明治40年代には、高山社は全国で40,000人の社員を擁しました。また、高山社が社員を増やした要因の一つには、巡回指導者による実践的な指導方法がありました。これは高山の死後、弟子の町田菊次郎により積極的に推進され、高山社は養蚕学校として発展しました。

展示資料は、明治19年の高山の死後、明治25年に功績を追賞して金5円が下賜された際の文書です。

賞勲局群馬県平民亡高山長五郎追賞ノ件
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