ここから本文

26. 斎外式力織機の発明(斎藤外市)

日本における機械織機は、明治初年より木製の伝統的織機に海外の技術を取り入れた改良機の開発に始まります。手織りから始められた織機は、足踏み機へ改良され、明治10年代後半には力織機へと発展し全国的に普及しました。力織機とは、水力、蒸気などを動力とする機械織機のことで、織物の用途に合わせた織機が各地で開発されました。

展示資料は、明治45年に、羽二重用の力織機を発明した斎藤外市(1865―1926)が藍綬褒章を受章した際の文書です。羽二重とは、撚りのない経糸と緯糸を使った平織りの絹織物のことで、柔らかな肌触りと上品な光沢から主に高級和服に用いられました。山形県鶴岡近郊の地主であった斎藤は、明治23年頃から力織機の発明に没頭しました。斎藤は、それ以前に木綿の綾織を行っていましたが、英国製の力織機を参考に、明治31年、蒸気機関を用いた力織機を発明しました。この発明品に斎藤は、自分の名前からとって「斎外式織機」と命名しています。

当時、輸出用羽二重の生産が盛んだった山形県では、羽二重の生産奨励として力織機の購入価格の半額を助成したこともあり、斎外式は県内に急速に普及しました。県外では、全国の輸出用羽二重を集荷していた横浜の輸入商を通じて、福井、石川、富山などの羽二重生産地域で普及し、特に石川県では多く使用されました。この頃、斎外式のほかにも各種の羽二重用力織機が開発されていましたが、明治43年には斎外式は全体の六割のシェアを誇っていました。また、斎外式の製造をきっかけとして、鶴岡に機械生産に対応できる鋳物業、鉄工業が誕生しました。斎外式は、輸出用羽二重の製造を支えるとともに地元産業の発展に寄与したのでした。

斎藤外市ヘ藍綬褒章下賜ノ件
写真をクリックすると拡大画像が表示されます

※写真をクリックすると拡大画像が表示されます


本文ここまで



ページここまで