企画展

平成29年度 第4回企画展 「太田道灌と江戸」

平成29年度 第4回企画展 「太田道灌と江戸」


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概要


江戸城を築いた武将である太田道灌について、その生涯に関する資料と、徳川家康入部以前の中世の江戸に関する資料を取り上げ、道灌が生きた15世紀後半の関東の戦乱についてご紹介いたします。

主な展示


長禄年中江戸図

『長禄年中江戸図』(ちょうろくねんちゅうえどず)
 道灌が江戸城を築いた当時の江戸の様子を描いたとされる絵図で、画像は文化3年(1806)に作成された写です。「溜池」など、道灌の時代には見られない地名が記されていますが、道灌が江戸城を築いた事績が、後世に注目されたことを示す資料です。



古今要覧稿

『太田家記』(おおたかき)
 道灌の子孫である江戸太田氏の一族で、江戸時代に譜代大名となった掛川藩主太田家によって、18世紀初頭に作成された編纂記録です。道灌の父である資清(道真)から玄孫にあたる重正まで、6代の事績が記されています。 江戸時代になると、各大名家で家史の編纂が行われますが、この資料の中の詳細な記述により、関東の戦乱で活躍した道灌が、江戸時代に太田家の繁栄を築いた人物として位置づけられていることがわかります。



あさかほ叢

『江戸名所図会』(えどめいしょずえ)
 江戸府内および近郊を対象とした絵入り地誌です。編者は江戸神田の町名主の斎藤家父子三代(長秋・莞斎・月岑)で、挿絵は長谷川雪旦が描いています。天保5年(1834)、同7年の2回に分けて刊行されました。画像は、道灌の有名な伝説の一つである「山吹の里」の場面です。
 この伝説は、鷹狩の帰途に雨が降ってきたので、蓑を借りようとした道灌に対して、女性が何も言わずに山吹の花を差し出し、それが「後拾遺和歌集」にある「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞかなしき」という和歌にかけていることを後から知った道灌が、自分の不明を恥じて和歌を学ぶようになったという話です。



『江戸名所図会』

『鎌倉大草紙』(かまくらおおぞうし)
 戦国時代頃に成立したとされる軍記物語で、南北朝の内乱を記した軍記物語である「太平記(たいへいき)」の欠を補うという意味から、「太平後記(たいへいこうき)」という別称もあります。上中下の3巻構成で、康暦元年(1379)から文明11年(1479)まで、鎌倉公方足利氏の動向を中心に、関東の政治情勢が記されています。同時代の資料が少ない15世紀後半の関東の政治情勢を語る重要な資料です。