企画展

令和5年度第2回企画展 「病と生きる―江戸時代の疫病と幕府医学館の活動―」

病と生きるのポスター

【展示会】
【関連イベント】展示解説会

概要

 新型コロナウイルス感染症が流行し、国家や社会、人々はこの感染症に対して、様々な対策や対応をおこなってきました。
 歴史を振りかえると、人々は常に疫病の流行と向き合ってきました。本展では、江戸時代に流行した疫病(特に、流行り風邪・麻疹・疱瘡・コレラ・梅毒)の流行状況や、その時々の社会や人々の対応・対処等について、当館所蔵資料からご紹介します。
 また、江戸幕府がこうした疫病に対して、どのような対策をしたのか、幕府の医療政策に注目するとともに、幕府の奥医師であった多紀元孝が設立し、後に幕府直轄となる医学館の活動についても取り上げます。



主な展示資料


御実紀の画像

御実紀
 「通称「徳川実紀」と呼ばれ、林述斎(じゅっさい)らにより編纂され、天保14年(1843)に完成した幕府の正史です。初代家康から10代家治に至る歴代将軍ごとの治績を編年体で記し、逸話については、付録としてまとめたものです。書籍館旧蔵。全241冊。
 「有徳院殿御実紀」巻32には、享保15年(1730)11月23日に8代将軍吉宗の嫡男である徳川家重(「大納言殿」)が麻疹に感染したこと、同月27日には、尾張藩主である徳川継友(つぐとも)が感染により死去したことが記されています。




 医家初訓(いかしょくん)の画像

 医家初訓(いかしょくん)
 江戸幕府の奥医師で、11代将軍徳川家斉の侍医(じい)も務めた多紀元悳(元徳・もとのり)が、寛政4年(1792)に医師の心得や医学の教訓について、全16条の箇条書きで記した書です。全1冊。
 画像は「福医」について述べた箇所。「福医」とは、実力がないのに裕福な医師のことで、彼らは「医ノ名ヲ以」て名誉とお金を得て豊かに暮らす「医賊」であると断じています。




奥御医師誓詞の画像

奥御医師誓詞
 元治元年(1864)8月15日、松本良順が、奥医師に任命(再任)された際に、老中の牧野備前守忠恭(ただゆき)と若年寄の平岡丹波守道弘へ提出した誓詞(職務に忠実に、これを悪用しない旨を誓う文書)です。起請文前書には奥医師が守るべき条項が列挙され、神文(起請の内容に偽りがあった場合には、神仏の罰を受けるべき旨を記した文)の部分には、熊野那智大社の牛王宝印紙が用いられています。