明らかになった改正案
14.勅語奏請の件
資00179100(件名4)
日本政府は、GHQで審議済みの確定草案を採択するほかないと決意し、昭和天皇に奏上するとともに勅語を奏請しました。
資料は、昭和21(1946)年3月5日に閣議決定された勅語案です。この勅語は、ポツダム宣言の趣旨に沿って日本国の政治の最終形態が国民の自由に表明した意思に基づき決定されることを、現在の統治権の総攬者である天皇が自ら認める意味を帯びていたとされています。
閣議決定の後、幣原喜重郎総理と松本烝治大臣は憲法改正草案要綱と勅語案を携えて天皇に拝謁しましたが、勅語については政府からの奏請ではなく、「宮内省の責任において下賜」される手続をとることになりました。
15.幣原内閣総理大臣謹話
平14内閣00002100(件名56)
昭和21(1946)年3月6日の夕刻、幣原喜重郎内閣は、憲法改正草案要綱及びその英訳を、勅語と内閣総理大臣謹話とともに発表しました。謹話(資料)は、昭和天皇が「非常なる御決断を以て」憲法改正を決意したこと、「連合国軍総司令部との緊密なる連絡」の下に憲法改正草案の要綱を発表したことを述べるものでした。
これに対してマッカーサーも同時に声明を発表し、日本政府の憲法改正案を全面的に承認できること、この案が日本政府とGHQとの苦闘に満ちた折衝の末に起草されたものであることを認めていますが、憲法改正要綱(松本委員会憲法改正案)からこの要綱への転換の実相については両者ともに暗示するにとどめました。
16.憲法改正草案要綱
資00021100(件名2)
資料は、昭和21(1946)年3月6日に政府より公式発表された「憲法改正草案要綱」です。
多くの国民が憲法改正草案の内容を目にしたのは、この草案要綱が翌7日に掲載された新聞紙上でした。極秘裏に進められてきた憲法改正案の帰結は、ここに至ってようやく国民の前に示されました。この後、憲法改正の案をめぐって識者を中心とした論議がメディア上で繰り広げられ、その議論の場は間もなく召集された第90回帝国議会へと収れんしていきます。