「オーストラリア国立公文書館旧蔵日系企業記録」の寄贈受入について

国立公文書館
公文書専門員 長岡智子

はじめに
 国立公文書館(以下「当館」という。)は、2018年7月に、オーストラリア国立公文書館(National Archives of Australia。以下「NAA」という。)から、同館が所蔵していた戦前の在豪日系企業の記録群の寄贈を受け、翌2019年2月に目録を公開[1]し、以来、一般の利用に供している。NAAから打診を受け、寄贈を受け入れ、目録公開に至るまでの約3年半にわたり、当館とNAAの間では、緊密に連携をとり協力しながら、いわば二国間の共同事業として手続きを進めた。本稿ではこの日豪両国の国立公文書館による共同事業の過程を紹介する。
 当該記録群「オーストラリア国立公文書館旧蔵日系企業記録」(以下「日系企業記録」という。)[2]は、1941年12月8日、日本と連合国の開戦を受けて豪州政府が敵性資産として接収した、当時豪州各地で経済活動を行っていた日系企業とその関係者や団体等の記録である。作成年は1899年から1941年まで、総量は書架延長800メートルに及ぶともいわれ、戦後、1957年にNAA(当時は前身のオーストラリア国立図書館アーカイブズ部)に移管され、同館のシドニー分館で保管されていた。
 日系企業記録には、通常長期に保存し続けることのない日々の業務記録等も含まれ、戦前の企業活動や接収された当時の状態を直接的に伝えることから、主に日本の経営史やアーカイブズ学の分野で貴重な研究資源とされてきた。この記録群が日本で利用可能となった経緯を以下にたどってみたい。

寄贈式典の様子

寄贈式典の様子

1. 寄贈受入れに至る経過の概要
 まず、寄贈受入れに至る経過を時系列に沿って整理してみる[3]。
 始まりは2015年7月、当館の加藤丈夫館長宛に届いた1通の書簡だった。差出人はNAAのデービッド・フリッカー(David Fricker)館長で、主旨は、同館が所蔵する日本企業の歴史的記録群を「日豪両政府の変わることのない友好の証として」日本に贈りたい、というものだった。書簡には記録群の概略とNAAにおける管理状況や日本人研究者による利用状況に関する説明があり、この記録群が当館又は他の然るべきアーカイブズ機関で受け入れられ、「日本で末永く保存・公開されていくことを願う」と記されていた [4]。
 書簡を受けて、加藤館長はまず、この記録群に詳しい日本人研究者として書簡でも言及されていた安藤正人学習院大学教授(当時。以下、個人の所属先・役職名は当該事項当時のものとする。)等の有識者に助言を求めた。その結果、戦時接収という特異な状況下で形成された資料群であること、「国から国へ」という豪州側の希望が示されていたことなどから、当館で一括して受け入れる方針を立て、その年の冬から本格的な準備に入った。
 明けて2016年の3月に加藤館長が訪豪し、キャンベラでのフリッカー館長との協議に続き、シドニーで資料の保管状況と現物を実見した。2016年度には、外部有識者と当館役職員で構成する受入準備委員会を組織(詳細は後述)して、外部有識者と館職員が二度にわたる現地資料調査を行い、2017年夏にかけてNAAと調整を重ねながら移送計画を策定、同年7月18日にオーストラリアから日本への資料移送に係る覚書を作成し、日豪双方で同日に報道発表を行った。実際の日本への搬送は、10月17日から約2週間かけ、5便に分けて空輸で実施した。オーストラリアでは資料の国外搬出の完了を記念して、11月21日にキャンベラにおいてNAAと在豪日本国大使館の共催で譲渡式が開催され、加藤館長が出席した。
 その後、日本側での資料の状態確認等の追加調査に続き、2018年度に入って、生物被害への対処や目録作成、排架等の受入実務を進めながら、所有権の移転に関する最終調整を行い、7月2日に東京で寄贈式典を開き、梶山弘志内閣府特命担当大臣(公文書管理担当)と、来日中だったオーストラリアのスティーブン・チョーボー(Steven Ciobo)貿易・観光・投資大臣の立ち合いのもと、加藤・フリッカー両館長が、所有権の移転に関する覚書に署名した。これを以って当館に所有権が移り、その後も引き続き公開準備作業が進められて、翌2019年2月、日系企業記録の目録は公開に至った。
 以上、寄贈受入れの経過を概観したが、次項でいくつかの点について少し詳しく見てみたい。

2.当館における受入準備体制と移送から受入れまでの作業について
 本項では、寄贈受入に至る過程を二つのフェーズに分け、それぞれの課題と取組みについて述べる。

2.1 受入準備委員会と館内プロジェクトチーム
 開始当初から2年目にかけては、事前準備として当館における体制整備、資料の実態調査、受入れに向けた方針策定等の課題に取り組んだ。上述のとおり、日系企業記録の寄贈受入れに当たっては、安藤教授を中心とした有識者のグループに協力を仰ぎ、2016年5月には受入業務を円滑かつ効率的に推進するため、これら有識者と当館の関係役職員で構成する「オーストラリア国立公文書館所蔵日系企業記録受入準備委員会」が設置された。この有識者グループは、日系企業記録の利用ガイドの作成を目的に、2003年から現地で資料の調査・整理を行っていた在豪日系企業記録プロジェクトの2016年当時の主要メンバーで、国内でこの資料に最も精通した研究者グループと考えられた[5]。
 受入準備委員会は2018年3月までに計5回開催され、寄贈受入れに向けて各種方針等が検討された。また、委員会の有識者メンバーと当館職員の合同チームが2016年8月と2017年3月にシドニー分館へ赴き、現地での資料調査及びNAAとの移送準備に係る協議を行った。なお、在豪日系企業記録プロジェクトの活動に関連して、2016年9月に開催された国際公文書館会議(International Council on Archives。以下「ICA」という。)ソウル大会において、当館の派遣により、プロジェクトメンバーを代表して秋山淳子氏が「戦時接収企業資料の整理における日豪協力(原題”Japan-Australia Bilateral Cooperation in Archival Processing for the Wartime Seized Company Records”)」と題する報告を行った[6]。

2.2 資料の移送と当館での受入れ
 後半のフェーズでは、物理的に記録を運ぶことが大きな課題だった。このためにまずNAAにおいて日系企業記録の記録群としての範囲の特定を実施した。NAAの管理上は日系企業記録をまとまった記録群として正式な名称を付けて扱っていたわけではなく、通称として「Japanese Trading Company Records」等と呼んでいたようだが、今回の寄贈対象は敵産管理局(Controller of Enemy Property)による接収記録としてシドニー分館で保管していた、という条件に基づき、シリーズ単位で範囲が指定された(NAAでは同一の出所・整理過程・内容等による「シリーズ」と呼ばれるまとまりごとに記録が整理されている[7])。ただし、一部のシリーズにドイツ企業の記録が含まれていることが確認され、NAAと協議してそれらは寄贈対象から外した[8]。

シリーズ一覧

シリーズ一覧

 こうして特定された記録について、NAA側で精査して保管箱単位でリスト化し、クリーニング等保存に必要な措置を施した上で、追加梱包等、物理的な移送の準備を整えた。また、安全に移送することが難しいニトロセルロース製の写真ネガフィルムが数点確認されたため、NAA側で取り出し、当館ではデジタル化した複製のみ寄贈を受けた。
 日本への移送については、南半球と北半球の寒暖差が小さく、他の移送案件が比較的少ない時期ということで10月に実施する計画が立てられ、輸送方法については船便も検討したが、保存上の観点等から、温度調節をしながら赤道直下を通る船舶輸送より安全・効率の両面で優れるとの結論を得て、航空便を使用することとなった。約20種に及ぶ多様な形・サイズの保管箱、3,300超に収められた記録を、5回に分けて運ぶために、NAAシドニー分館からの第一便の搬出開始から、東京の一時保管庫への最終便搬入終了まで、計15日を要した。
 日系企業記録が日本に到着した3年目の後半以降は当館への受入れ作業を実施した。当館の規程類に沿って整理、目録の作成を行い、デジタルアーカイブでこれを公開し、利用が可能となったのである。

3. 所有権の移転に係る手続き
 今回の寄贈受入に伴う二国間の調整で最も重要かつ困難を伴った作業の一つに、それぞれの国内法令との整合性確保と覚書の作成があった。これらは、両館の役職員の相互往来時やICA等の機会をとらえて覚書について協議を重ねつつ、双方で国内の関係機関等との調整を行う等、各フェーズを通じて進められた。
 当館では日系企業記録の受入れの適否に関する検討を行い、公文書等の管理に関する法律に定められた歴史公文書等として寄贈を受け入れることとなった。また、当館で一括して受け入れることについて、もともとの記録作成元である日系企業やその後継関連企業の理解を得るべく、説明や協力依頼を行った。
 これらを踏まえて、両館の間で、上述の通り覚書を二度に分けて作成した。1通目の「日本国立公文書館とオーストラリア国立公文書館とのアーカイブズに係る協力に関する協力覚書」は寄贈受入れに係る協力関係の範囲や内容、資料の輸送に関する責任範囲等について確認し、所有権の移転については別に文書を作成することとした。そして2通目の「日系企業記録の所有権の移転に関する覚書」で、それぞれの国内法令上の位置付けや、所有権が日本に移ること、その後の管理方法は当館の判断で決めることができる等の点を確認した。
 当館への寄贈が完了した2019年現在も、NAAのオンライン目録「RecordSearch」には日系企業記録のシリーズ別データが残っており、そこには記録の接収を行った敵産管理局から1957年にNAAへ移管されたこと、後に同管理局の機能が金融省(Department of Finance)へと引き継がれた経緯、さらには記録が「2017年10月19日、金融省によって除籍(withdrawn)され、現在は日本国立公文書館の管理下にある」「永久除籍済」等の記述が加えられている[9]。

NAA RecordSearchより SP1098/9 大倉商事資料の記述画面

NAA RecordSearchより SP1098/9 大倉商事資料の記述画面

おわりに
 海外の国立公文書館から、これだけ大量の資料の寄贈を受け入れるのは当館にとって近年稀にみることで、かなり特殊な経験でもあったといえるだろう。日豪両国の共同プロジェクトとして推移した二つの国立公文書館による共同事業は一旦完了したが、これからもこの関係を維持するとともに、国の資産を「友好の証」として寄贈しようと申し出てくれた豪側の厚意に報いるためにも、分野や利用者層の広がりを含めた様々な方向で、日系企業記録の活用が進むよう、期待されるところである。


※本稿におけるインターネット情報の最終アクセス日は、2019年11月27日である。
[1]https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/F2015031614311448601.html
[2]日系企業記録の内容の詳細は「在豪日系企業記録プロジェクト(代表:安藤正人氏)による利用ガイド『オーストラリア国立公文書館旧蔵日系企業記録ガイド』(以下『ガイド』という。)を参照されたい。https://www.archives.go.jp/publication/archives/pdf/Guide_to_NAA_JapaCoRecords_edition2.pdf[PDF: 10.3MB]
[3]2017年10月までの経緯については『国立公文書館ニュース』第12号(平成29年12月発行)に掲載しているので、そちらも参照されたい。https://www.archives.go.jp/naj_news/12/special.html
[4]書簡にはNAAが所蔵する日本関係資料全体を解題した利用の手引書が同封されていた(Pam Oliver, Allies, Enemies and Trading Partners: Records on Australia and Japanese, NAA, 2004.)。同書に日系企業記録に関する概説が掲載されている。筆者のパム・オリバー(Pam Oliver)はモナシュ大学名誉研究員で日豪関係史や日系移民史の専門家。同書はオンラインでも公開されている。http://guides.naa.gov.au/allies-enemies-trading-partners/index.aspx
[5]委員会に参加いただいたのは、安藤正人、小風秀雅、秋山淳子、市川大祐、和田華子、大島久幸、谷ケ城秀吉の各氏。同プロジェクトの活動については『ガイド』pp.1、9-13を参照されたい。
[6]https://www.archives.go.jp/about/activity/international/201609050910.html
[7]日系企業記録も、主に各社の支店・出張所ごとに「シリーズ(Series)」でまとめられ、各シリーズには「SP(Sydney Permanentの略)」で始まる番号と、社名(メルボルンについては支店名も)・記録の作成年等から成るシリーズ名が付与されていた(詳しくは『ガイド』pp. 29-38を参照)。当館でも原則としてNAAでの整理・公開の秩序を尊重し、シリーズによる整理を引き継いでいる。
[8]『ガイド』p.61参照。なお、NAAでは今回当館が寄贈を受けた資料以外にも日系企業の関連資料を所蔵している。
[9]敵産管理局による接収からNAAへの移管については『ガイド』pp.33-34と和田華子氏の論考(和田華子「太平洋戦争の開戦と在豪日系企業記録」(『歴史評論』739号、2011年)が詳しい。