日本・ベトナム外交関係樹立45周年プロジェクト「日本とベトナム:きざまれた交流の軌跡をたどる」webサイトについて

国立公文書館 統括公文書専門官室
公文書専門員 渡辺悦子

1.はじめに
 2018年は、日本とベトナム社会主義共和国が外交関係を樹立してから45周年にあたる。これを記念して、国立公文書館とベトナム国家記録アーカイブズ局(State Records and Archives Department of Vietnam、以下「SRADV」)は、共同プロジェクトとして、両機関の所蔵資料により、日本・ベトナムの交流の歴史を紹介するwebサイトを開設することとなった。これは、2017年9月に、アーカイブズ及び記録管理の分野における両国の交流を一層進めるために、当館とベトナム国家記録アーカイブズ局との間で交換した「アーカイブズ及び記録管理に係る協力覚書」に基づく、最初のプロジェクト[1]でもある。
 本稿は、海外のアーカイブズ機関との共同による資料紹介webサイト構築プロジェクトという、当館にとって初めての試みを報告するものである。

2.SRADVについて
 ベトナムにおける記録管理制度及びSRADVの概要については、米川恒夫「ベトナムの公文書館制度について」(『アーカイブズ』26号)[2]が詳しいので、ここでは、同記事に触れられていない事柄を中心に述べたい。
 ベトナムにおける国家の記録保存が本格化したのは、阮朝(1802~1945)の明命帝(1791~1841)即位後の1828年以降とされる。皇帝・各政府機関が作成した文書の起草から管理・保存にわたる仕組みは「内閣」によって統制されており、皇帝の一代が終わるごとに、全ての文書の原本が、ベトナム最初の大学でありかつ歴史の記録・編さん機関でもあった国子監に移管され、保存されていたという[3]。
 19世紀後半以後、ベトナムはフランスによる植民地支配を受けたが、ベトナム全土にわたる記録保存の集中管理体制はこの頃に整備が進んだとされる。1945年の8月革命で、ホー・チ・ミン(1890~1969)率いる革命政府によってベトナムの独立が宣言された直後、フランス植民地政府のインドシナ文書保存局・図書館が接収され、革命政府が「公文書保存総局・全国図書館」を設置、混乱の中で、旧制度下で収集された政府機関記録の保全を行う必要から、所管省庁の許可のない記録の廃棄を禁止する通達や布告を度々出し、記録の保管・保護が行われた。なお、同局は1945年末より、大学業務監督総局に編入されていたが、1962年、首相府直属の機関となっている(全国図書館局は1972年に公文書保存総局から分離)[4]。
 以降、ベトナムは、独立宣言後も植民時保持を企図するフランスとの間で起きた第一次インドシナ戦争(抗仏戦争)と、その後の南北ベトナムの分断という困難な時代を迎えるが、ベトナム戦争を経て、1976年にベトナム共和国(南ベトナム政府)の消滅により南北が統一すると、全国規模で統一された記録保存体制が整備されていくことになる。1982年、国家記録資料保護法令(Ordinance on Protection of National Archives)の公布により、中央から地方にわたる政府の記録保存組織系統が統一され、1997年には首相の指示により、政府に属する各省(及び省に相当する機関)は、文書館の設置が義務付けられた。続く2003年には首相の決定により、公文書保存総局は現在のSRADVとして内務省所管機関となり、国家の記録管理にかかる機能と使命、権限が付されることとなった[5]。現在のベトナムにおける記録管理は、2011年に施行された「アーカイブズ法」に基づき実施されている[6]。
 現行のSRADVの組織は6つの支援部局(中央政府アーカイブズ・記録管理指導部局、地方政府アーカイブズ・記録管理指導部局、国際協力部など)と国立第1~4アーカイブズ・センターや保存修復センターを含む9つの専門部で構成されている。政府記録は主に国立第1~4アーカイブズ・センターが管理しており、ベトナム全土を、クアンビン省以北(第3)、クアンビン省からビントゥアン省及び中部高原地方(第4)、ドンナイ省以南(第2)の3地域に分け、各地域の政府記録はそれぞれの地域を管轄するアーカイブズ・センターへ移管されている。なお、行政文書の保存期間は基本的に10年であるが、防衛省や外務省等が作成する特殊な記録に限り、30年保存が適用されているとのことである。第1~4アーカイブズ・センターの概要は「コチラ」を参照されたい。

3.日越外交関係樹立45周年記念資料紹介webサイト構築プロジェクト

SRADVで行われた署名式

SRADVで行われた署名式

3.1 「協力の覚書」の署名

 本プロジェクトの紹介に入る前に、プロジェクト基礎となった、当館とSRADVとの間で交わされた「協力の覚書」について、簡単に触れておきたい。
 両機関が覚書を交わすきっかけは、2016年9月に開催された国際公文書館会議(International Council on Archives)のソウル大会にて、ダン・タィン・トゥンSRADV局長より、日越両国のアーカイブズ分野における協力を推進するため、協力関係の覚書を作成したいとの申し出を受けたことにはじまる。翌10月、SRADV副局長が来館し、協力のための枠組み整備について再度言及があったこと、さらに2018年は、日本とベトナムが外交関係を樹立してから45周年にあたることから、何らかの共同事業を2018年に行えるよう、2017年中に覚書を作成したいとの希望が述べられた。
 2017年9月12日、ベトナム・ハノイにて、アーカイブズ及び記録管理の分野における相互協力並びに専門家交流を促進することを目的とした覚書にかかる署名式が開催された[7]。本覚書は、当館が海外のアーカイブズ機関と長期的協力関係を視野に取り交わすものとしては初めてのものである[8]。
 署名式前日、最終的な文言確認等が行われた席では、外交関係樹立45周年となる2018年に開催する共同記念事業として、共同展示を行う案が上がり、条件等についての協議が行われた。後に、共同展示の開催形式についてさらに検討が加えられた結果、45周年記念事業は、両機関の所蔵資料を中心として、日・ベトナム交流の記録をオンラインで紹介するwebサイトの構築が決定した。

3.2 国立公文書館所蔵のベトナム関係記録
 周知のとおり、国立公文書館の所蔵資料は、旧内閣文庫所蔵資料と、明治政府発足以降に作成された公文書に大別される。オンライン資料紹介webサイトの作成にあたり、これら当館所蔵のベトナム関係の記録の調査を行った結果、明らかとなった資料の概略を、以下紹介する。

3.2.1 古代の記録
 前近代の記録としてあげられるものは、当時のベトナム地域に関わる人物や出来事に関わる記事を掲載する、寺誌や国史等であり、江戸時代に作成された写本を中心とした資料である。また、ベトナム地域に関わる国史上最も古い記述がある『日本書紀』[9]や、元正天皇期に第9次遣唐使として唐に派遣され、その後唐の官吏として成功し、「安南(ベトナム)節度使」として当時中国の統治下にあった北部ベトナム地域を治めた阿倍仲麻呂に関する記事が掲載された人物伝などもある。
 日越交流という観点から、この時代の資料では、古代ベトナム中部にあったという「林邑」(チャンパ)から、当該地域の音楽である林邑楽を日本に伝えたことで知られるベトナム人僧・仏哲が来日したことを記す『東大寺要録』に注目することとした[10]。

3.2.2 近世の記録:朱印船貿易と漂流者
 近世のベトナムに関係する資料は、前節と同様に内閣文庫に所蔵されるもので、16世紀末から17世紀中頃を中心に盛んに行われていた朱印船貿易時代に関わる記録をまとめた編さん物が中心である。特に、江戸時代後期の幕臣で江戸城紅葉山文庫の書物奉行も務めた近藤重蔵(1771~1829)による、江戸時代の外交関係資料集『外蕃通書』とその参考図録『外蕃書翰』に見える安南(ベトナム)関係記録、さらに近藤がまとめた安南の歴史・風俗・言語・地誌に関する『安南紀略藁』は、当館所蔵資料の中でもよく知られるものである。これら外交や地誌に関するものの他、江戸時代に起きた、日本人がベトナム地域に漂流した事件を記録した『安南国漂流記』、『南漂記』、『漂流雑記』も、当時のベトナムにかかる記録であり、鎖国制度下における日本人の海外への関心を示す好資料でもある[11]。

3.2.3 近代(明治~第二次世界大戦)の記録

日仏協約案(『公文類聚』第三十一編、類01032100)

日仏協約案(『公文類聚』第三十一編、類01032100)

 近代以降の記録は、第一次資料が主となる。当館所蔵のベトナム関係資料は、当時の政府が作成した記録が中心であり、この時代の日本が世界と関わるなかで起こった歴史的事件を数多く伝える。
 例えば、ベトナムの領有をめぐり、同国の宗主国であった清と、同国の植民地支配をすすめるフランスの間で、1883年から1886年にかけて起きた清仏戦争は、当時の政府の重要な機密事項や事件等の記録類を省庁や年代別、事件単位に編集した『公文別録』に「仏清事件」として5冊に及ぶ簿冊にまとめられており、明治政府の並々ならぬ関心をうかがわせるものとなっている。また、1907年、日本がアジアにおける権益保護をはかるため、ベトナムを含むインドシナ半島を植民地としていたフランスとの間で、勢力範囲等の確認等を行うため結ばれた日仏協約にかかる記録が、『公文類聚』、『公文雑纂』や枢密院関係記録に見られる[12]。また、第二次大戦中の日本軍によるフランス領インドシナ進駐(「仏印進駐」)に関する資料も数多く所蔵している。なお、この頃の逓信省電務局作成の資料に見える、日本とベトナムを結ぶ無線電信にかかる資料[13]は、フランス領インドシナと日本間の電信にかかる約定締結や、無線テストにかかる詳細な記録が残され、興味深い。
 以上の公文書の他、内閣文庫に納められる明治政府が購入した書籍には、現地の法制度や地理、歴史にかかる教科書の翻訳書等が見える。また、1883年、陸軍参謀本部の将校だった引田利章がベトナムに赴任した際に手に入れ覆刻・刊行し、その後国内外で広く流通したことで知られる『大越史記全書』がある。
 さらに、フランスによる植民地支配に対するベトナム独立運動のリーダーの一人であったファン・ボイ・チャウ(1867~1940)は、日本をアジアで唯一近代化に成功した国として着目し、独立運動を担う人材確保のため、ベトナム青年に日本留学を呼びかける「東遊運動」を主導した人物であるが、来日中に彼が執筆した『越南亡国史』が内閣文庫に所蔵されていることがわかった。所蔵に至る経緯は不明なものの、本プロジェクトの監修者である白石昌也氏(早稲田大学名誉教授)によれば、本書は出版されて間もない頃のかなり貴重な刊本とのことである。

3.2.4 戦後から現代の記録

「日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定」

「日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定」
(御署名原本、御39415100)

3.2.4.1 南ベトナム(ベトナム共和国)にかかる記録
 不幸な時代を経て、当館の所蔵資料に再びベトナムに関わる記録があらわれるのは、南北分断の時代を迎えていたベトナムの、特に南ベトナム政府との間で交わされた戦後賠償にかかる資料である。比較的まとまった量が存在し、時の総理・岸信介(1896~1987)らをはじめとする政府高官がベトナムに出張していたことを示す人事記録[14]をはじめ、閣議資料等のほか、御署名原本「日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定」がある。
 賠償協定と時を同じくして、戦後、発展途上国援助のために組織されたコロンボ・プラン[15]に基づく技術支援に関わる資料もあらわれる。これら技術援助に関わる記録は、ベトナム戦争の激化に伴い、徐々に姿を消していく。

3.2.4.2 ベトナム社会主義共和国にかかる記録
 ベトナム社会主義共和国に関連するものは、外交関係が樹立してまだ45年であるという事実から見ても、当館ではさほど多く所蔵していない。その中で見られるものとしては、ベトナム戦争終結後、社会主義化した本国を脱出した、ボート・ピープルと呼ばれた人々とその受入れが国際社会で大きな問題となった、いわゆる「インドシナ難民」にかかる記録となる[16]。
 その後、1994年8月25日に国際協力機構事業団との派遣取極め締結が図られて以降、「国際協力事業団事業への専門家の派遣」に関する文部科学省・農林水産省・厚生労働省からの移管記録が比較的多く見えるが、そのほとんどが要審査文書となっている。
 この他、内閣官房内閣広報室が保存していた広報写真が、歴代総理大臣資料として当館に移管されており、南ベトナム政府時代を含めると、佐藤栄作首相、村山富市首相、橋本龍太郎首相、小渕恵三首相らの訪越写真がある。

3.3 公開に至るまで
 プロジェクトが実質的に開始したのは、覚書への署名から4か月以上経過した1月下旬のことである。
 本プロジェクトは、オンライン上で開催する海外の公文書館との共同プロジェクトとして、オンライン上で開催する初めての取組みというだけではなかった。当館における類似の取組みでは「デジタル展示」[17]が挙げられるものの、物理的に開催された特別展や企画展をオンライン上で再現するというコンセプトで作られたものであり、今回のプロジェクトでは、オンライン上のコンテンツとして、構成や資料選別、キャプションの作成を一から作成しなければならなかった。その点においても、前例のない取組みであった。
 プロジェクトではまず、以下の基本方針が立てられた。
1) webページは日本語、英語、ベトナム語の3種類作成し、英語版ページをベースとする。
2) 日本側の所蔵資料を中心に構成を考え、対応する記録をSRADV側で調査する。
3) 外交関係樹立45周年を祝う友好の歴史を紹介する観点に立ち、関連する資料を選定する。
 2)については、プロジェクト開始時点ですでにスケジュールに遅れが生じていたため、時間短縮を図ることが優先されたことによる。これら基本方針に基づき、古代・近世・近現代とベトナム社会主義共和国との外交関係樹立後、の4部構成とする大枠が決まった。当館所蔵資料の紹介でも述べたとおり、当館には、国交樹立後の記録で公開可能なものが極端に少なかったことから、外務省本省及び外務省外交史料館への協力を仰ぐことが必至であった[18]。
 メールでのやり取りで行った資料の選定作業は難航した。最終的には、筆者自身がベトナムに赴き、日本側・ベトナム側の資料を同数にするとした上で、各章のテーマ設定に適した資料を1点1点確認しながら決定した。SRADV本部オフィスで開催されたこの打合せは、プロジェクトに取り組むメンバーが実際に顔を合わせて協議を行えたことで、以降、物事が飛躍的にスムーズに運ぶきっかけとなった。
 紹介資料が確定すると、各資料には資料番号が付された[19]。この番号は、その後の混乱を避けるため、並び順が変わり番号に前後が生じても、決して変えることのないIDとすることとした。このおかげで、時に長大なタイトル名が付されている公文書であっても、資料の特定がしやすくなり、情報のやり取りが容易になった。
 キャプションの記載に当たっては、両機関でそれぞれ作業が行われるなかで記載内容に一貫性を持たせるため、資料自体にかかる情報(請求番号、タイトル、作成年月日、量/媒体、作成者、管理的来歴)[20]と、資料の内容に関する記述を入れることを事前に取り決めた。それぞれ英語で作成した自国側提供資料のキャプションを交換し、当館側はベトナム側提供資料の英語版キャプションをもとに日本語版を、SRADVでは日本側提供資料の英語版キャプションに基づきベトナム語版を完成させた。
 キャプションの執筆と並行して、webページのプラットフォームの構築は日本側で行われた。webサイトは、当館側が日本語・英語版を作成、当館サーバーにおいて運営し、ベトナム語版はSRADV側が作成、運営することとなっていたため、テキスト情報のみが異なる同一のページを作成する目的で、日本側で英語版ページのテキストデータ、画像データ、スタイルシートやhtmlファイル等をパッケージにしてベトナム側に引き渡した。英語版ページをもとに両機関がそれぞれの言語のwebページを作成、トップページで互いにリンクさせて、webサイトが完成した。
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http://www.archives.go.jp/event/jp_vn45/

4.「日本とベトナム:きざまれた交流の軌跡をたどる」webサイトについて

オープニングセレモニー会場に展示された紹介資料を観覧する出席者

オープニングセレモニー会場に展示された紹介資料を観覧する出席者

 webサイトは、日本・ベトナムの外交関係樹立45周年記念日の前日である、2018年9月20日に公開された。
 資料のデジタル画像は、日本側から23点、ベトナム側から23点の、計46点[21]が提供されており、ベトナム側提供資料のうち10点は、今回のプロジェクトを機に初公開された資料である[22]。それぞれ拡大画像で閲覧が可能で、国立公文書館デジタルアーカイブにデジタル画像が搭載されている資料については、アイコンで示し、そこからデジタルアーカイブとリンクさせて資料全体を閲覧することができるようにした。また、本webサイトで紹介した資料に関係する関連年表もつけている。資料の原本を見たい利用者のため、説明文の最後に各資料の所蔵機関と請求番号と表示しているほか、国旗のアイコンで、どちらの国の機関が提供したものかがひとめでわかるよう工夫した。
 なお、トップページ左上のロゴマークは、在ベトナム日本大使館により提供されたものである。外交関係樹立45周年の機会に、日本・ベトナムの交流を促進することを目的に、官民を問わず実施される様々な事業を「日越外交関係樹立45周年記念事業」として一体的に広報を行うために作成されたもので、本ウェブサイトも記念事業の一つであることを示すものとなっている。
 公開日には、webサイト開設を記念し、両国でそれぞれオープニングセレモニーが開催された。当館で開催されたセレモニーでは、ダン・タィン・トゥンSRADV局長からのビデオメッセージが流されたほか、サイトの監修者である白石昌也氏から、紹介資料にかかる興味深い解説も行われた。会場には、在日本ベトナム大使館のタ・ドク・ミン参事官をはじめ、河内隆内閣府事務次官のほか、webサイトへ資料を提供いただいた機関など、日本・ベトナムの交流にゆかりのある、約20名の来賓の方々にご出席いただいた。
 本webサイトが、日本・ベトナム両国の相互理解を深める一助となることを祈念するとともに、本プロジェクトによって協力の第一歩を刻んだ当館とSRADVが、今後も意義ある相互交流を進めていけるよう、取り組んでいきたいと考えている。

 最後になるが、本webサイト構築にあたって惜しみないご助言・ご協力をくださった以下の方々に、この場を借りてあらためて深く感謝いたしたい。

 早稲田大学名誉教授・白石昌也氏、日越大学学長・古田元夫氏、今川幸雄元駐カンボジア日本大使、駐ベトナム日本大使館・富塚あや子氏、ハノイ人文社会科学大学東洋学部副学部長 ヴォー・ミン・ヴー氏、外務省外交記録・情報公開室、同外交史料館、株式会社杉友の各関係者の皆様

[注]
[1]当館ホームページお知らせ「ベトナム国家記録アーカイブズ局との協力の覚書の交換について」(2017.09.19)参照。Available at: http://www.archives.go.jp/news/20170912.html(access:2018/11/05)
[2]Available at: http://www.archives.go.jp/publication/archives/wp-content/uploads/2015/03/acv_26_p57.pdf(access: 2018/11/05)
[3]ヴー・ティ・フン、グエン・ヴァン・ハム、グエン・レ・ニュン著・伊澤亮介訳『ベトナムアーカイブズの成立と展開:阮朝期・フランス植民地期・そして1945年から現在まで』(ビスタ ピー・エス、2016年)より。
[4]同上。
[5]「Giới Thiệu: Cục Văn Thư Và Lưu Trữ Nhà Nước (Introduction: The State Records and Archives Department of Vietnam)」、及びSRADV職員Nguen Hue氏に対する聞き取りによる。
[6]1982年の国家記録資料保護法令以降では、現行法の前に一度、国家記録資料保存法(Ordinance on National Archives)が2001年に公布されている。
[7]なおこれにあわせて記念セミナーも開催され、当館の取組みを紹介する講演を行い、活発な質疑が交わされた。
[8]なお、ベトナム国家記録アーカイブズ局が覚書を締結した国立公文書館としては、当館は11ヵ国目(他の10か国はフランス、ロシア、キューバ、ドイツ、中国、韓国、ラオス、カンボジア、シンガポール、アメリカ合衆国)とのことである。
[9]欽明天皇4年(534)秋九月条に、百済の聖明王が扶南(ベトナム南部にあった国家)の宝物を献じた記事がある。
[10]その他、仏哲によって伝えられた「林邑楽」に関する初見記事を掲載する『続日本紀』、音楽書である『教訓抄』などが、紹介資料候補として挙がった。
[11]なお、当館の内閣文庫はその膨大な漢籍コレクションでも知られるが、『安南雑記』や『安南記遊』などの漢籍も所蔵されていることを付言しておく。
[12]枢密院文書より「枢密院文書・日仏協約ニ関スル勅語」(枢00019100)など。
[13]KDDI旧蔵資料で、「国際通信関係資料 181」(寄贈02719100)。
[14]「内閣人事公文」より「内閣総理大臣岸信介外二名ヴィエトナム等各国へ出張の件」など(平2総00430100)。
[15]正式名称は「アジア及び太平洋の共同的経済社会開発のためのコロンボ・プラン」。日本は1954年に加盟。
[16]当時の内閣審議室の「決裁文書綴」(平19 内閣 00323100など)は、関係機関との会議の開催に関する事務的なものがほとんどで、会議内容等の具体的な記録は残っていない。
[17]当館のデジタル展示参照。Available at: http://www.archives.go.jp/exhibition/past.html(access: 2018/11/05)
[18]事実、第4章「日本とベトナム:旧友との新しいパートナーシップ」で交流当初の記録を紹介するにあたっては、外務省所蔵の複数の交換公文及び外務省外交史料館所蔵の閣議請議のほか、外務省の協力により今川幸雄元駐カンボジア日本大使から外交関係設定にかかる交換公文署名の際の貴重な写真をお借りした。
[19]章番号_サブチャプター番号_遠し番号_jp/vnの形式とし、最後に付されたjpもしくはvnにより、一目で日本側提供資料かベトナム側提供資料かがわかるようにした。
[20]アーカイブズ資料の国際記述標準であるGeneral International Standard Archival Description (ISAD(G))より、アーカイブズ機関の目録記述において必須事項とされていることの多い、Title, Dates, Name of Creator, Extent and medium, Administrative/Biographical historyを採用したものである。
[21]実際には、株式会社杉友提供の、杉良太郎氏への友誼勲章および勲章授与式にかかる写真2点を加えると48点であるが、本資料については、杉氏への友誼勲章にかかるベトナム側資料の参考資料という位置づけにし、日本側・ベトナム側いずれにも該当しないものとして扱うこととしたため、総数にはカウントしていない。
[22]第2章の「阮朝木版 (H28/3)」「阮朝木版 (H28/6)」「阮朝硃本: 「漂流の報告」(嘉隆帝第3巻)」、第3章の「枢密院による「東京法律高等学場」教本に関する報告」「貿易省共産党支部による報告」「ベトナム-日本友好協会の設立にかかる内務省決定」「杉良太郎氏に対する友誼勲章の授与に関する国家主席決定」、第4章の「駐日本ベトナム特命全権大使任命にかかる決定」「日本政府のODAによる中部ベトナム電信ネットワーク開発プロジェクトに関する首相決定」「日本政策金融公庫によるハイバン・トンネル建設プロジェクトに関する首相決定」「日本国際協力銀行融資による紅河橋建設プロジェクトに関する首相決定」の計10点。