弔辞

内閣府審議官
幸田 徳之

 総理府・総務庁の後輩職員を代表して、元総務事務次官、そして元国立公文書館長であられた菊池光興先輩に対し、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

 菊池元次官の訃報は、我々一同にとって早すぎるあまりに急な知らせでした。
 今こうしてご遺影の前に立つと、菊池元次官の、あのよく通る野太い声が聞こえてくるようで、他界されたことが今も信じられない気持ちです。ここに深く哀悼の意を表するとともに、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。

 菊池元次官は、昭和四十二年に総理府に入られ、総務庁人事局長、官房長、総務事務次官などの要職を歴任され、卓越した識見、果断な実行力と高い指導力で、幾多の功績を挙げてこられました。
 人事行政の分野においては、厳しい財政事情の下での給与改定の実施、官民人事交流法や任期付任用法など新たな法律の制定、国家公務員倫理法の円滑な施行など、厳しさを増す国家公務員をめぐる諸情勢に対応して多くの変革を実行されました。
 また、官房長・事務次官のご在任期間は、霞が関に中央省庁再編の大波が押し寄せた時期でもありました。菊池元次官は、総務庁という行政改革の推進を担う役所の官房長・事務次官として省庁改革に全面的に協力すると同時に、自らの組織を廃止し、その部局や職員を円滑に内閣府と総務省に移行させるという極めて難しい作業を両立され見事にこなされました。
 これらは、戦国武将のような重厚・豪快な外見とは裏腹に、役人としてのキメ細かい論理や説明責任を誰よりも大事にされるとともに、我々後輩に対しても飾らない優しいお人柄で接していただき、厚い信頼を集めていた菊池元次官であったからこそ可能であったご功績であると考えます。

 菊池元次官は、省庁再編とともに退官され、内閣府の国立公文書館長に就任されました。館長としてのご在任中には、福田官房長官の下で有識者懇談会を立ち上げ、福田内閣で初めて任命された公文書管理担当大臣を助けて公文書管理法制定に貢献されるとともに、公文書管理を担う人材の育成に取り組まれるなど、我が国の公文書管理行政の発展の歴史に極めて大きな足跡を残されました。

 その後、館長を退かれましたが、引き続き、国立公文書館フェローとして、また、新たな国立公文書館の建設に関する調査検討会議のオブザーバーとして、我々をご指導いただいておりました。
 そのような中、本年の八月下旬、菊池元次官ご自身から、内閣府にメールが届きました。その一節をご参列の皆様にもご紹介させていただきます。

 いわば最後のライフワークの覚悟で取り組んできた新しい国立公文書館の建設構想ですから、ぜひともその最後まで関わりたいと存じておりました。ただ、残念なことに最近の私の健康状態がそれを許さない程度になってしまいました。このまま会議のオブザーバーとして参加を続けると、来年三月の報告書取りまとめまでの間に不測の事態を生じ、かえってご迷惑をおかけすることを危惧し、今回心ならずも、ご辞退させていただきます。ご賢察をたまわりますよう。」

 新たな国立公文書館の建設構想については、私どもは菊池元次官に今後もご指導にあずかることを願っておりましただけに、まことに痛恨きわまりない心境でございます。

 本日の最後のお別れに際し、後輩職員一同、菊池元次官のご遺志を受け継ぎ、力を合わせて公文書管理を始めとする所管行政の一層の前進のため、努力していくことを改めてお誓い申し上げ、弔辞とさせていただきます。

平成二十九年十月十七日
     内閣府審議官 幸田 徳之