国立ハンセン病資料館の活動について

国立ハンセン病資料館 学芸部学芸課
大髙 俊一郎

1 沿革

国立ハンセン病資料館外観

   国立ハンセン病資料館(以下、当館)は、ハンセン病に対する誤解と偏見が繰り返されないようになることを願い、平成5(1993)年に「高松宮記念ハンセン病資料館」として国立療養所多磨全生園(東京都東村山市)に隣接する土地に設立されました。設立にあたっては、計画、資金集め、資料の収集と展示などについて、多磨全生園の入所者を中心としたハンセン病回復者が大きな役割を果たしました。開館後も、来館者への展示解説や語り部活動など、回復者が運営の中心的役割を担いました(運営は財団法人藤楓協会)。
 それからの当館の歩みは、同時期に進行した日本のハンセン病問題の大きな転換と密接に関連しています。平成8年、ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されます。その後平成13年には、「らい予防法」は違憲であったとの熊本地方裁判所の判断が示され、それが確定します。熊本地裁判決後に表明された内閣総理大臣談話で、政府は患者・回復者らの名誉回復のための措置を講じるとされ、その具体策として「ハンセン病資料館の充実」が盛り込まれました。それ以後、当館を国立とすべきであるとの議論が高まり、平成19年に「国立ハンセン病資料館」としてリニューアルオープンします。さらに、平成21年に施行された「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」第18条において、名誉回復のための措置として、「国立のハンセン病資料館」を設置することが国に義務付けられます。これが、当館の設置根拠となっています。運営は、厚生労働省が民間に委託しています(現在は公益財団法人日本財団が受託)。
 平成28年度の来館者は、31,331人で、近年は3万人強で推移しています。また、同年度来館者のうち、団体が17,277人で、全体の55%を占めています。このように、人権学習を目的とした団体に多く利用されている点が、当館の特徴です。

2 国立ハンセン病資料館の主な活動

 当館は、国が行う普及啓発事業の一環として、ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発に取り組んでいます。その目的は、ハンセン病患者・回復者の名誉回復にあります。具体的には、回復者による語り部活動、展示、ハンセン病に関する資料の収集・保存、調査研究等が活動の内容になります。以下、主な活動について説明します。

(1)語り部活動
 当館の設立以来、語り部活動は普及啓発活動の大きな柱です。20年以上にわたり、多磨全生園入所者の佐川修さんと平沢保治さんのお二人が、自らの体験にもとづいて、人権や命の大切さ、差別の残酷さ、かつての療養所における過酷な生活などを伝える講演を、何度となく行ってきました。お二人の語り部活動は、ハンセン病問題の啓発に大きな役割を果たしました。今では、子どもの頃に語り部の講演を聞いた経験がある学校の先生が、自分の教え子たちを当館に連れてきてくださるということもめずらしくありません。また、新聞をはじめとするメディアにも度々とりあげられました。

(2)常設展示
 当館の常設展示室は3つのエリアに分かれています。展示室1「歴史展示」は、ハンセン病についての知識と、日本における古代から現代までのハンセン病の歴史について、主にパネル展示を用いて紹介しています。常設展示の中心である展示室2「癩療養所」、展示室3「生き抜いた証」をご覧いただく前提として、病気と歴史を大まかに把握していただくことを目的とした展示となっています。
 展示室2「癩療養所」は、ハンセン病が治る病気となる以前の時代を中心に、療養所における苦難に満ちた生活、隔離政策のもとでの人権侵害、偏見・差別の実例などについて紹介しています。例えば、この展示室には「患者作業」というコーナーがあり、作業で使われた道具や作業の様子の写真などを展示しています。「患者作業」というのは耳なれない言葉かと思います。かつての療養所では、運営費を節約するために患者の労働力を利用しました。重症患者の介護や土木作業など、様々な仕事が患者の手によって行われていたのです。これが患者作業ですが、多くの患者がそのために病状を悪化させていきました。
 また、「結婚、断種、中絶」というコーナーがあります。療養所では、患者の逃走を防ぐ手段として、早い段階から結婚が認められていました。しかし、結婚の条件として男性には断種手術が、女性が妊娠した場合には中絶手術が、半ば強制的に行われていました。現在も多くの入所者が、断種と中絶の悲しみを抱えながら生きています。国の誤った対策と社会の偏見のために、生まれるはずの命の芽が摘まれてしまったことを、ぜひ記憶にとどめていただきたいと願います。
 このほか、患者が雑居生活を送った部屋の再現や、23人もの患者が命を落とした「重監房」(草津の栗生楽泉園に設置され、特に反抗的とされた患者が送り込まれた厳重な特別室)の一房の再現なども、来館者がじっくりご覧になっている展示です。
 展示室3「生き抜いた証」は、苦しい状況のなかで生きる意味を探り続けた患者・回復者の営みを、主として患者運動(団結して法律の改廃、療養所の環境改善、差別撤廃などを求める運動)と文化活動を通して紹介しています。
 この展示室の冒頭には、「舌読」という大きな写真が展示されています。「舌読」とは、視力も指先の感覚も失った患者・回復者が、感覚が残る舌先や唇で点字を読む技法です。この写真には、たとえ障害を負ったとしても、残った機能を研ぎ澄ませることで何かを成し遂げることができるというメッセージが込められています。展示室3には、患者・回復者によって生み出された文芸・絵画・陶芸・写真・書などの作品、患者運動、社会復帰への挑戦、スポーツや音楽活動に関する写真や資料などを展示していますが、「舌読」と同じように、それぞれの作品や活動が生みだされた背景に着目してご覧いただければ幸いです。
 また、展示室3にはビデオブース(証言コーナー)が設けてあり、国内42人、海外22人の回復者・関係者の証言映像を視聴することができます。

雑居部屋再現

舌読

(3)企画展示
 春季(4月下旬~7月)と秋季(10月~12月)の年2回、企画展示を行っています。平成29年度は春季企画展として、近年、多くの国立療養所で展示や資料保存の機能を持った施設が設立されていることをうけ、それらの施設を紹介する「ハンセン病博物館へようこそ」を開催しました(4月29日~7月30日)。現在は秋季企画展として、療養生活のなかの大きな楽しみであった食事と、食事にまつわる営みを紹介する「隔離のなかの食」を開催しております(12月27日まで)。過去の企画展示の実績とあわせ、詳しくは当館ホームページをご覧ください。

企画展「隔離のなかの食」

(4)資料の収集と保存
 多磨全生園入所者自治会では、昭和44年に「ハンセン氏病文庫」を設置し、ハンセン病に関する資料の収集・保存に取り組んできましたが、これらの資料は当館に引き継がれました。さらに、当館の開館にあたって多磨全生園の回復者が全国の療養所を訪れて、貴重な資料を収集しました。当館のコレクションの中核は、これら回復者によって収集・保存されてきた資料になります。その後は、回復者個人や各園自治会などからの寄贈により、資料を収集してきました。また、企画展を開催するための調査の過程で資料が発掘され、それらを当館に寄贈していただくこともあります。
 所蔵資料の内容は、実物資料は患者・回復者が療養生活のなかで使ってきた道具、文化活動のなかで生み出された作品などが中心です。文書資料は、患者運動の記録や療養所の医師が収集した記録などが中心です。文書資料のなかには、一部、多磨全生園の行政文書が含まれていますが、これはかつて行政文書が廃棄されるときに、回復者らが拾得し「ハンセン氏病文庫」で保存してきたというエピソードがあります。当館が所蔵する文書資料は、もともと良好とは言えない環境で保存されてきたものが多く、全体的に劣化が進行してます。そこで、原資料の保存を目的とした脱酸化処理と簡易補修を行い、同時にデジタル化による代替物の作成にも取り組んでいます。このほか、図書室ではハンセン病に関するものを中心に書籍を収集し、公開も行っています。
 当館には、収蔵庫1、収蔵庫2、特別収蔵庫、一時保管庫がありますが、すでに資料が収蔵庫に収まりきらなくなっています。同時に、収蔵庫内の整理や資料のリスト化も追いつかない状態です。現在、収蔵庫を増築する計画が進められていますが、当面、多磨全生園の空いている部屋をお借りして、あふれた資料を仮置きしています。
 また、当館の周囲は豊かな自然環境であるため、文化財害虫対策が大きな課題です。害虫防除業者とも連携しつつ、燻蒸、ゾーニング、モニタリング、ゴミの管理の徹底などを行っています。

3 近年の新しい取り組み

(1)ハンセン病体験講和事業
 昨年から今年にかけて語り部のお二人が体調をくずされ、これまでのような語り部活動を行うことが難しくなりました。そこで当館は、新しい語り部活動「ハンセン病体験講話事業」を立ち上げることにしました。以前は団体来館者の要望に応じて行っていましたが、新しい事業では、何人かのハンセン病回復者に新たに語り部になっていただいた上で、個人来館者も参加できるように実施します。新しい語り部活動はスタートしたばかりですが、この事業を安定的に実施していくことは、当館の大きな課題です。

(2)普及啓発活動の強化
 以前より当館では、要望があれば語り部や学芸員等を派遣して館外での講演を行ってきましたが、平成26年度に社会啓発課を新設し、館外における普及啓発活動を強化しました。平成28年度の実績で、45件(対象は約5,000人)の館外講演を行っています。講演料は無料です。また、社会啓発課の業務として、7月または8月に「ハンセン病と人権」夏期セミナーを開催しています。内容は、学芸員等の講義、語り部の講演、展示見学などで、どなたでもご参加いただけます。受講された方には修了証をお渡ししています。

(3)デジタルアーカイブによる文書資料の公開に向けた取り組み
 これまで当館では、所蔵する文書資料を公開していませんでしたが(目録データを含む)、現在、文書資料の公開に向けて資料のデジタル化と目録データの作成を行っています。しかし、館内で資料を閲覧していただくための条件が整っていないため、Web上のみの公開を想定しています。また、公開までの道のりには課題も多く存在します。公開のためのルール作り(利用制限、利用審査など)、検索・閲覧システムの構築などについては、今後検討していかなくてはならない課題です。具体的な公開時期について言明することはできませんが、一度にすべての資料を公開するのではなく、準備が整ったものから順次公開するという方法を考えています。

4 今後の課題

 平成29年5月1日現在で、全国のハンセン病療養所(国立13、私立1)の入所者は1,473人、平均年齢は85歳をこえています。このような入所者の減少と高齢化を背景として、ハンセン病問題が忘れ去られてしまうのではないかという懸念と、ハンセン病問題の歴史を後世に伝えるための資料保存の重要性が広く共有されつつあります。
 平成29年3月31日付けで国立ハンセン病資料館等運営企画検討会が取りまとめた「ハンセン病問題の普及啓発の在り方について(提言)」においても、ハンセン病問題を風化させないために普及啓発活動をより一層充実させるべきことが提言されています。ここに、今後当館が目指すべき方向が示されています。
 資料保存を重視する動きとしては、展示と資料保存の機能を持った施設が、相次いで各療養所に設立されていることがあげられます。資料の現地保存が、現在のメインストリームと言えるでしょう。そのような流れの中で、当館に求められる役割も変化しつつあります。例えば、単に各地から資料を収集するだけではなく、他の施設が行う資料保存へのサポートも、重要な業務となりつつあります。今後は関係機関との連携を構築しつつ、そのネットワークのなかで求められる役割を果たしていくことが、中長期的な当館の課題であると言えるでしょう。