東日本大震災と原子力発電所事故からの文化財保全への取り組み

福島県富岡町教育委員会
三瓶 秀文

1 はじめに

   平成23年3月11日に日本列島東北地方の太平洋側を震源としてマグニチュード9.0を記録し、発生した東日本大震災はその名の示すとおり、日本列島の東日本を中心に甚大な被害をもたらした。とりわけ、福島県においては地震・津波に加えて東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生し、事故の発生した原子力発電所の立地する自治体だけでなく、その周辺の自治体へも広範囲に放射線による避難指示というかたちで被害を与えている。
   原子力発電所の事故による避難指示については政府により、原子力発電所事故当初(同年4月22日)に原子力発電所から半径20kmに設定された警戒区域やその周辺の計画的避難区域などがあったが、現在はその後の区域再編を経て、帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域などに区分されている。避難指示の対象となった自治体では、これまでその地域で人々が生活しながら築かれてきたコミュニティが無くなることはもとより、その地域の伝統や歴史的な背景、地域の歴史資料が次世代に継承されることが困難な状況に陥っている。

搬出された資料を収蔵する仮収蔵施設

搬出された資料を収蔵する仮収蔵施設

   地域の人々と地域の歴史資料が離れてしまう事態が発生しているなかで、人々にとっての地域の文化・歴史資料は、今なお避難生活を続ける住民に対して何を語ることができるのか、歴史資料の存在の意義を東日本大震災と原子力災害の発生後、現在まで問われている状況であると言える。 
   平成23年3月11日の東日本大震災の後に、事故の発生した福島第一原子力発電所から約10キロメートルに位置する富岡町では地震の発生した3月11日から地震や津波被害状況の把握を翌日に残し、町役場敷地に隣接する文化交流センターの2階会議室に災害対策本部を設置した。しかし、翌12日の早朝には早くも原子力発電所の避難指示区域が拡大されたことに伴って、全町民が避難し、町役場としての機能も町の西側に隣接する川内村へ移転し、その後16日には更に西方の郡山市に川内村と一緒に移転せざるを得ない状況となった。また、それに併せて全ての住民も避難先となっている県内外各地で現在まで5年以上にも及ぶ長期にわたる避難生活を継続している。

   発災当初は、放射線の影響により立ち入りの制限の加えられた区域となってしまった「警戒区域」内で出来る作業も限られ、警戒区域内の各自治体の文化財の担当職員は地域の文化財保護の手段を模索しながら公共施設の被害状況の確認などの際に歴史資料についても状態の確認のみを行う状況が暫く続いたが、こうした状況が打開に向けて動き出す体制が構築されるまでに約1年を要した。
   平成24年5月に入り福島県及び県関係機関、被災市町村による福島県被災文化財等救援本部が組織され、国及び国関係機関、日本博物館協会、全国美術館会議等の強力な支援を得て、行政が所有する文化財の避難指示区域からの搬出から仮保管を行うというかたちでの保護活動が開始された。

GM式サーベイメーター

GM式サーベイメーター

   警戒区域からの搬出作業については作業場所、バックグラウンドの空間線量を把握するためシンチレーション式サーベイメーターを用いて計測・記録した後、資料の放射性物質の付着(放射線汚染密度)を調べるためGM式サーベイメーターを用いて資料の個体ごとにカードに記録して1,300cpm以下のものを対象として、梱包して搬出するという手順で作業を実施している。なお、記録カードについては、資料名や所有などの基本的な情報のほかに、資料の移動の履歴ごとに放射線量を記録することができるように欄を設けたものを用意した。
   この活動は、現在まで継続されている。平成26年3月までに資料の運び出しを行うことを決めた自治体の行政所有の文化財については、ほぼ搬出の手が加えられ、資料は警戒区域のある双葉郡の北側に位置する相馬市内の旧相馬女子高校跡の校舎で一時的に保管される。その後に資料の照合やクリーニング、リスト化などの再整理を行い、福島県文化財センター白河館の敷地内に福島県により文化庁の被災文化財再興事業によって整備された仮収蔵施設に各町ごとに保管がなされている。
   こうした活動の最中にも、原発事故の影響により避難指示の続く周辺の各自治体では、警戒区域が区域再編により日中の立ち入りが制限されない「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」、依然として立ち入りに申請を要する「帰還困難区域」などに再編された。また、避難指示の長期化に伴って家屋の管理が不能となったことや、家畜が家屋に浸入するなどの被害により荒廃した住宅も多く見受けられるようになり、継続して民間の住宅等に保管されてきた歴史資料の保全が課題として浮き彫りとなる状況となった。
   民間の住宅に眠っていた地域の歴史資料・文化財は地震・津波の被害に加えて避難指示が長引くことによって荒廃し、それに伴って住宅を取り壊す解体除染では、これまで個人で保存・継承されてきた地域の歴史資料・文化財の存続について更に危機的な状況を招いている。
   予定した自治体公有の文化財の搬出作業が富岡町では終了したのに伴い、民間でこれまで保管・管理されてきた歴史資料に対しても保全の対象とするため、富岡町では独自の取り組みとして平成26年6月に町職員が所属部署を横断して参加する「富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチーム」を設置してこの問題に取り組んでいる。
   まず、過去に実施された町史編纂事業において取扱いのあった歴史資料の所有者に対し独自のアンケート調査を実施し、現在の史料の保管の状況と震災による資料の被災状況の確認を行い、併せて歴史資料の寄贈及び寄託を所有者に呼びかけた。
   アンケート調査の回答や町民への呼びかけによって富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチームでは地域の歴史資料の保全の取り組みを開始し、これまでに町内の寺社に残されていた近世の神道に係る裁可状や、近世から続いてきた商家の帳簿史料など、震災以前の地域の生活を写した写真、地域の記録が書かれたノートなど合わせて10,000点以上の多岐にわたる地域の歴史資料の保護・保全の取り組みを実現している。

民間の住宅からのレスキュー作業

民間の住宅からのレスキュー作業

   こうして保護・保全された地域の歴史資料は町内の歴史民俗資料館の収蔵庫へ運び込まれ、改めて放射線量の確認を行った後に燻蒸処理を経て管理されている。
   その後の町への寄贈・寄託資料のリスト化や整理作業を行うにあたって、平成27年8月に締結した「富岡町と福島大学との歴史・文化等保全活動に関する協定」により福島大学の支援を受けて実施されている。作業を行うにあたり大学側の専門的な知識を得られる地域連携としてだけでなく、整理作業に参加する学生たちによっては実際の資料を扱う作業の実習の場ともなっている。
   更に、この活動は町職員で構成する富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチームのメンバーの側にとっても資料の整理作業の手順などを経験の少ない自治体職員が実際に体験する貴重な機会を生み出している。

2 搬出・保全された地域の歴史資料の活用と今後

   これまでに保全された歴史資料を公開・活用することによって、避難が長期化する住民へ地域の成り立ちやふるさととのつながりを再確認してもらう機会を設ける取り組みも併せて実施されている。こうした事業のなかでは、機会ごとに震災の記録、記憶について活動する町民も参加してシンポジウムを開催し、その意義やそれぞれの想いについて共有し、そこから見える課題や今後の展開について意見の交換を行っている。

搬出された資料を使用しての企画展

搬出された資料を使用しての企画展

   また、震災遺産の保全にあたっては、福島県立博物館に事務局を置く「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」の構成員として富岡町も加わって取り組みを実施し、これまで約5,000点以上の震災遺産を保全している。
   加えて、いわゆる震災遺構とされる震災や津波の影響を受けた建造物や遺構などの構造物についても、東北大学の支援を受けて3次元レーザー計測の手法を駆使し、津波の被害を受けた富岡駅舎を解体撤去の前に計測し津波の被害の実態を知る資料とすることや、復興に向けて変化する商店街の景観、除染によって発生した除染廃棄物の仮置き場などをUAV(Unmanned aerial vehicle、ドローン)を使用して上空から計測するなど復興に向けて移り変わる町の姿を記録し、公開を行っている。
   公開にあたって富岡町では現在、役場機能を置く郡山市内に3次元・等倍・カラーで再現可能なMRシステム(Mixed Reality システム)を導入し、申し込みにより随時、閲覧・公開を行っている。

3 今後の展望と課題

   地震・津波と原子力発電所の事故により現在まで5年以上もの避難指示が継続するなか、「ふるさと」と関係を維持したいと考える人々へ向けて、地域の歴史資料を通して地域の成り立ちを確認し、ふるさととの関係や思いを再確認すること、また震災遺産を通して災害で受けた被害実態を確認しそこから復興へ取り組む地域や人々の姿を発信して行くことは、歴史的な時間軸のなかに今回の災害を含めて考えることによって、地域と離れて避難生活を送る人々がふるさととのつながりを確認すること、個々の置かれた避難からの現在の立ち位置を整理して考えるという点において重要な意味を持つと考えている。
   また、課題として今後もこうした活動を継続して実施する場、保全した資料の恒久的な保管のできる体制の確立があげられる。今後、避難指示が解除される自治体にとっても、地域の成り立ちを物語る資料、震災の被害や教訓を伝える資料を適切に管理・活用することによって、地域の成り立ってきた経過やそこで生活してきた人々が積み重ねてきた歴史や文化が、震災を経験し、どのように被害を受け、復興へ向かう地域のなかで位置づけられて行くのか、更に検討される必要があると思われる。
   平成28年9月にソウルで開催された第18回国際公文書館会議(ICA)ではこうした取り組みを世界のアーカイブズに携わる人々に向けて報告させていただく機会を得た。日本における地震と原子力災害からの復興に向かう地域の姿を報告するとともに、地域の記憶そのものである歴史資料が持つ意義を考えながら、更に今後も継続して地域と人々のつながりを維持する事業の展開について報告したが、こうした活動の意義を発信しながら地域の復興に取り組むことが必要であると考えている。