外務省外交史料館・茨城県立歴史館共催「日本外交のあゆみ」展を開催して

外務省外交史料館 外務事務官 山下大輔

1. はじめに

展示ポスター

展示ポスター

 平成27年(2015年)10月10日から11月23日までの期間(閉館日を除く39日間)、外務省外交史料館(以下、当館)と茨城県立歴史館[1]は共催展示会「日本外交のあゆみ」(以下、本展示会)を、茨城県水戸市にある同館1階展示室において開催した。本展示会は、当館から約100点もの史料(国指定重要文化財2点を含む)を出陳する大規模、かつ初めての試みであった。以下、当館の担当者である筆者が、本展示会の概略を報告させていただく。

2. 開催までの経緯

 「公文書等の管理に関する法律」では、国立公文書館等は、展示その他の方法により、特定歴史公文書等を積極的に一般の利用に供するよう努めなければならないとされている。また、「特定歴史公文書等の保存、利用及び廃棄に関するガイドライン(以下「ガイドライン」)」では、展示会の開催等の取組を通じて、国民が歴史公文書等に触れる機会を数多く用意することで国民の歴史公文書等への関心を高めることが重要であり、地方での展示会開催や国立公文書館等として定められている施設同士の連携した取組についても検討すべきであるとされている。
   こうした法の趣旨に鑑み、外務省の特定歴史公文書等を扱う施設として指定を受けている当館は、平成25年3月30日から4月18日の期間、国立公文書館、宮内庁宮内公文書館と連携して展示会「近代国家日本の登場-公文書にみる明治-」を開催(会場は国立公文書館)した。さらに、平成26年1月4日から2月23日までの期間、埼玉県立文書館と連携して展示会「地図アラカルト 世界と地域」を開催(会場は埼玉県立文書館)した。本展示会は上記に続く試みである。
   平成26年6月、当館へ茨城県立歴史館の展示担当を含む3名が来訪し、上記2展示会を高く評価した上で、当館が所蔵している教科書等でもよく知られた日本外交史上の重要な条約書などを広く県民に知らしめることは教育的見地等から有意義であり、是非とも明年10月から11月にかけて「特別展」という位置付けで連携展示会を行いたいとの申し出を行なった。
   茨城県立歴史館は、総点数100点を超える史料を展示できる広大な展示スペースを有しており、当館が幕末から現代にかけての日本外交の足跡をたどるような形で展示品を大規模に選定・出陳しても問題ない上、同館は平成25年12月から翌年1月にかけて、国立公文書館との連携展示会「資料が語る日本の歴史 茨城のあゆみ」を共同開催した実績を有していた。こうしたインフラ面、実績等での条件も申し分なく、さらに茨城県民を中心に広く外交知識の普及に資するものであり、「ガイドライン」の趣旨にも沿うものであることから、本展示会の開催が決定したのである。

展示風景・1

展示風景・1

 開催が決定した後、具体的な出陳史料の選定が行われたが、当初は総点数150点を超える史料を想定し、そこから当館、茨城県立歴史館担当者の間で約100点にまで絞り込んだ。また、茨城県立歴史館では、特別展示に際して図録[2]を出版することとなっていた。この図録原稿を両者で丹念に校正し、当館からは図録掲載用の史料画像を用意するなどの作業を行った。本作業と同時にチラシやポスター原案なども両者でアイデアをすり合わせるなど、同時並行で進められたのは両者の連携あってのものであろう。
   こうして開催期間・場所、展示史料等が確定したが、問題が浮上した。大量の史料搬送をどのように行うのか、実際に展示場所にどのように配置するのかなどである。
   万が一を考慮し、一度に大量の貴重史料を運搬することは避けたかった。万全を期しても全て防ぎきれるものではなく、万が一の可能性は捨てきれなかったため、3便に分けることでリスクを分散した。茨城県立歴史館には運搬の手配等、万全を期すことにおいて尽力していただいた。
   次に史料の展示スペースへの配置であるが、蝋缶の付いている条約書など、扱いの難しい史料が多かったため、当館から数名が茨城県立歴史館へ出張し、同館担当者とともに史料の展示作業をすることで解決した。

3. 展示史料

降伏文書

降伏文書

 本展示会における主要な展示史料としては、重要文化財2点が挙げられよう。日米和親条約の批准書交換をした証である「日米和親条約批准書交換証書」、伊豆下田で調印され、長崎開港などを新たに規定した「日米約定(下田条約)」である。これらの史料は外部の展示機関では初めての展示となった。
   次に来館者の耳目を引いた史料として、「降伏文書」が挙げられる。本史料は平成27年8月31日から9月12日までの期間、当館で戦後70周年を記念して特別に原本展示がなされたが、その後本展示会でも展示された。当館での原本展示においても好評を博したが、場所が茨城県に変わってもやはり関心の度合いは深かった。
   茨城県立歴史館が出陳した同県にゆかりのある史料としては、幕末、常陸沖に現れた異国船を描いた「文政六年湊沖異国船接近之図」、茨城県に上陸したイギリス人を描いた「文政七年大津浜上陸イギリス人之図」、茨城県出身の医師・佐藤進[3]の関連史料、昭和初期に日米間で交換された青い目の人形などが展示され、注目を浴びた。
   両館以外からの出陳史料で注目度が高かったものとしては、大津事件[4]で津田三蔵巡査が所持していたサーベル、咸臨丸の船模型、ベーブ・ルースのサイン入り野球ボールなど多彩な資料が挙げられ、展示会にアクセントを加えたことが印象的であった。
   メインの展示会とは別に、イベントも充実していたと思われる。波多野澄雄・筑波大学名誉教授/アジア歴史資料センター長の講演会、両館の展示担当者の展示史料解説は特に好評を博した。

4. 成果と課題

展示風景・2

展示風景・2

 展示期間中の来館者[5]は、14,867名(一日平均381名)であった。茨城県立歴史館担当者によると、今回特筆すべき点として、同館が発行している年間パスポート・招待券を有している来館者よりも、入場料を支払って入場した来館者が多かったことを挙げている。このことは、いわゆる固定層の来館者よりも本展示会のテーマに興味を覚えて来館した人数が勝っていることを指し(来館者の任意アンケートによれば、6回以上の来館者(固定層)よりも5回以下の来館数の合計が多かった)、その注目度が窺える結果となった。なお、展示図録は予定していた部数を上回る購入希望者が殺到したため、展示最終日の段階ですでに完売した。
   茨城県外からの来館者も北は北海道、南は沖縄までと幅広く訪れた。この点について、茨城県民以外の地域からの来館者が訪れたことで、展示趣旨にあった「国民の歴史公文書等への関心を高めること」に資する成果を得たと思われる。
   来館者アンケート[6]に記された感想によると、「普段見られない文書の原本を見る事ができ、貴重な体験になった」「国民が知るべき外交を詳細に扱った点で重要な展示であった」「知らなかった部分を、知る事ができた」「たくさんの資料に感激した」という意見が見られた。普段、歴史公文書等に触れる機会があまりない方々に楽しみながら関心を深めていただくという本展示会の目的がある程度達成できたのではないかと思われる。また「展示解説の方の説明が分かり易く、興味を持って展示を見て回れた」という意見も見られ、展示期間中のイベントが有意義であったと示された。
   他方、課題としては大量出陳という初めての事業にうまく初動から対応できなかった点が挙げられる。この点は、両館の担当者間での調整についても影響を及ぼし、出陳史料選定の際、二転三転するなどの事態を現出した。この問題が図録作成にも影響したことなどを踏まえると、担当者である筆者の経験不足に因るところが大きく、反省しきりである。今後の業務ではかかることの無いよう、励んでいくつもりである。
   最後に、本展示会開催にあたり、できうる限り良い展示会にするべく奮闘してくださった茨城県立歴史館の関係各位に心より感謝申し上げたい。また本展示会に来館してくださった皆様にも厚く御礼申し上げたい。

※本展示会の概要は当館ホームページ内コンテンツ「特別展示・企画展示アーカイブ」、茨城県立歴史館ホームページ内コンテンツ「テーマ展・特別展のご案内」に掲載されている。
   ○外務省外交史料館HP「特別展示・企画展示アーカイブ」
    http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archive.html
   ○茨城県立歴史館HP「テーマ展・特別展のご案内」
    http://www.rekishikan-ibk.jp/exhibition/theme/

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[1] 茨城県の歴史についての「公共博物館」と「文書館」の機能を合わせ持つ施設として昭和48年(1973年)に茨城県庁において準備組織が設置、翌昭和49年(1974年)に開館した。茨城県の歴史に関連する資料を収集、整理、保存するとともに一般の利用者に提供し、各種展示事業を展開している。一橋徳川家からの寄贈を受けた資料、美術品、工芸品等多数の蔵書や品々をもとに一橋徳川家記念室等も開設されている。
[2]図録の文責は茨城県立歴史館が負い、販売についても同館が全て管轄した。
[3]現在の茨城県常陸太田市出身。当初は軍医として活躍し、西南戦争時の寺内正毅の手術、大隈重信の右足切断手術などを手がけた。また、日清戦後の講和交渉のために来日していた李鴻章が狙撃された際、その治療にあたった。
[4]茨城県立歴史館によると、ロシアの放送局が大津事件関係史料などを中心に本展示会を取材しており、海外においても注目されていたことがわかる。
[5]期間中には現職の茨城県議会議員、元茨城県教育委員も訪れている。
[6]およそ9割以上が、大変わかりやすい展示であったと高く評価した。