東京工業大学博物館資史料館部門公文書室の開室 —時の流れを結晶化し、後世に伝える—

東京工業大学博物館資史料館部門
広瀬茂久

 「我輩は公文書室である」という書き出しで、後世の誰かが、公文書室で働く人たちのキャラと日常を描きながら、収蔵文書類に秘められた歴史と先人の思いを読み解き、物語風に紹介してくれることを夢見ながら、出来たばかりでまだがらんとした収蔵庫の脇で毎日キーボードと格闘している。文書を作り、記録に残す作業は、目に見えない時の流れ(時間)を結晶化し、可視化することともいえる。私は、2年前に定年になったが、現役の時はバイオ系で目に見えない細胞や分子の世界を旅し、そこで繰り広げられている生体分子のドラマを目に見えるようにする(論文を書く)べく努力していた。その経験を背景に、アーキビストとは別の視点からアーカイブズに貢献したいと願っている。

1. 設立に至る経過

1.1. 概略

正面奥:受付と閲覧室、右:スタッフルーム、左:書庫及び作業スペース

正面奥:受付と閲覧室、右:スタッフルーム、左:書庫及び作業スペース

 本学の創立百年を記念して博物館を兼ねる百年記念館が計画された段階から、その世話人の一人だった道家達將(名誉教授/特命教授)は、いずれ資史料館も設置すべきだと提案していたが、この資史料館構想が真剣に検討されるようになったのは、130年史の編集作業が本格化してからだった。年史編さんをきっかけに、資史料の体系的保存と活用の必要性が強く再認識されるようになったことに加え、当時の伊賀健一学長も理解を示したからだ。このような背景のもと、資史料館の活動、すなわち歴史的に重要な資史料を読み解き、先人の仕事とそれに込められた思いを分り易い形で伝承していくことは、本学のアイデンティティーの確立に寄与するのみならず、未来を切り拓く力の源泉にもなると位置づけられ、早期の実現を目指すことになった。理想的な資史料館のあり方を議論するとともに、種々の制約を考慮した現実的な姿を模索した結果、先ず「歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料」を収集管理する施設として資史料館を置き、その後で資史料館内に「特定歴史公文書等」を保存管理するための「公文書室」を設置することになった。具体的には、資史料館の設置が2013年4月で、公文書室は施設要件を満たすための工事等で予定より少し遅れ、2015年4月の開室となった。

1.2. 詳細(資史料館の設置まで)

 この間の流れをもう少し細かく見ていくことにしよう。本学の創立130周年にあたる2011年に向けて、種々の行事や事業が計画された。その中の1つが130年史の編さんだった。編集委員としては、現役教員の負担を減らす観点から、名誉教授3名が選ばれたが、追加で、現役だった私も加わることになった。理由は、百年史以降の最も大きな出来事が生命理工学部の設置で、そのいきさつが分る人が必要だったからだ。資料不足のところを何とかカバーし、130年史を仕上げたところで、本格的に資史料館設置に向けた準備が始まった(2012年)。準備委員会の世話人は現役教員が務めざるを得ず、私に白羽の矢が立った。ちょうど定年の年で、研究室の後片付け等と重なり大変だったが最後の御奉公と覚悟を決めて引き受けた。資史料館の役割や学内での位置づけ(規模・場所・担当事務部など)等を中心に構想を練りつつ、2011年4月1日に施行された「公文書等の管理に関する法律」(公文書管理法)を踏まえて、「国立公文書館等」としての指定を受ける準備もすることになった。それまで”自然を読む”仕事をしていた身には、”公文書管理法を読む”のは大変で、一通り目を通したところで先達の知恵を借りることにした。

 当時、国立大学法人で「国立公文書館等」に相当する施設を有していたのは7大学のみで、関東地区にはなかった。そこで、地理的に近い名古屋大学(大学文書資料室)、東北大学(史料館)、京都大学(大学文書館)の順に訪問し、お話を伺うとともに施設見学をさせて頂いた。貴重な助言を頂いた堀田慎一郎、永田英明、西山伸の各先生方には改めてお礼を申し上げたい。内閣府大臣官房公文書管理課を訪問して支援をお願いするとともに、日を改めて国立公文書館を訪問し、アドバイスを頂くとともに、館内を見学させて頂いた。

 本学ではスペース上の制約もあって、最終的には東北大学方式、すなわち寄贈文書等は「資史料館」に、特定歴史公文書等は付設の「公文書室」に収蔵する方式で進めることになった。事務の省力化に腐心していた事務局長の強い意向もあって、博物館の下部組織とし、従来の博物館を博物館部門、新設予定の資史料館を資史料館部門とすること、及び担当事務は博物館の面倒を見ていた研究推進部から総務部の広報・社会連携課に移すことで大方の合意を得て、設立検討部会報告書(2013年2月15日、26頁)としてまとめた。この案が博物館運営委員会、将来構想委員会(当時は21世紀委員会)、評議会、役員会で承認された。この間に、博物館長が代わり、諸般の事情(古い建物の耐震補強工事など)から大学全体が緊縮財政を余儀なくされたこともあって、規模の見直し等を迫られたが、石戸良治名誉教授からの寄附等にも後押しされ、何とか2013年4月1日に資史料館をスタートすることができた。

閲覧机(文書類の落下を防ぐために縁がかさ上げされている。机上の仕切り板は取り外し可能)

閲覧机(文書類の落下を防ぐために縁がかさ上げされている。机上の仕切り板は取り外し可能)

1.3 詳細(公文書室の設置)

 資史料館の存在を学内及び同窓会等にアピールするための活動に力を入れるとともに、公文書室の開室に向け、必要な規則の改正や制定の準備にとりかかった。床の補強や書架の設置、さらには空調設備など施設面での整備も年度末の2014年2月までに終えることができた。

 2014年度に入り、規則の整備にもめどがついたところで、公文書管理課に電話して本年度末に国立公文書館等としての指定を受けたい旨を伝え、支援を要請した。7月16日には公文書管理課を訪問して計画の概要を伝えアドバイスをいただいた。8月20日及び9月17日に、それぞれ「報告様式1」及び「報告様式2」を文科省経由で内閣府に提出し正式に指定に向けた手続きを開始した。11月20日の現地調査での軽微な指摘事項をクリアーするための改善策を講じ、かつ公文書室利用等規程の文言をすり合わせた後に、2015年2月9日付で学長から内閣総理大臣あてに協議書が提出された。これを受けて第40回公文書管理委員会で本学の公文書室利用等規程が審議・承認され、3月2日付で先の協議書に同意する旨の回答があり、3月31日の官報掲載を経て、4月1日に正式に国立公文書館等としての活動を開始することになった。

公文書室専用書庫

公文書室専用書庫

2. 苦労話と学んだこと

(1)一体運営:組織的には、博物館に資史料館と公文書室が割り込む形となり、事務の効率化は達成されたが、管理運営体制は複雑となり、規則の改正や制定に苦労した。博物館が大きくなったことで学内的な存在感が増したメリットを享受しつつ、部門間の密な情報共有(一体運営)を通して、迅速な意思決定ができるように心掛ける必要がある。一体運営を担保するための仕組みとして、月1回のペースで開催される教員会議及び全体会議を設けている。

(2)公文書室利用等規程の文言:基本的には、施設名等以外は、「てにをは」を含めて、ひな形どおりにすべきところを、本学の法規グループとも相談の上、学内向けの説明等を追加した案を作ったが、結果的には、ひな形どおりとなった。今にして思えば、各施設が勝手に文言を変えては収拾がつかなくなるので、内閣府の公文書管理課としては譲れないところだったのだ。無駄な努力ではあったが、この作業を通して、本学の法規グループの優秀さを知ったのは収穫だった。手前味噌で恐縮だが、短時間のうちに公文書管理法と関連法令を読み込み、私たち以上に理解してくれたのだ。

(3)権限:大学では委員会に決定権がなく、委員会の議を経て、室長等が決定する仕組みになっている。利用申請や異議申し立てに対する決定を「○○審査会」としがちだが、ここは公文書室長などとしなければならない。

(4)公文書管理委員会:委員会関係で悩んだことがもう一つあった。独自に学内に「公文書管理委員会」を設ける必要があるのか、あるいは内閣府の公文書管理委員会に諮問すればいいのか迷ったが、後者でいいことがわかった。私たちの施設が国立公文書館の”分室”にあたると見なせば、上述の利用等規程の文言の件を含め、理解しやすい。

(5)手数料の積算根拠(利用等規程の別表):利用者の複写費等は、当初、他大学の例を参考にして設定したが、実際にはコピー1枚の実費に電気代と人件費を足して算出しなければならないと聞いて、気が遠くなった。「国立公文書館等」施設ともなると、コンビニや図書館でのコピー代金と同じでいいのではといういい加減な話(フェルミ推定)ではダメで、算出根拠を明示しなければならないそうだ。多少オーバーな表現を許してもらえば、公文書管理課に一番お世話になったのが手数料の算出だったかもしれない。

3. お奨めの人材確保法

 人手不足と資金不足は、どの施設にも共通の悩みに違いない。本学の場合は、幸い、公文書室の発足に伴い1名の常勤職員が配置されたが、それでも目録作成作業等を考えると人員不足は明らかだった。そこで人事課との折衝の過程で浮かび上がったのが障害者枠での雇用だった。本学の場合は希望すれば優先的に検討して貰えるとのことで、3名もつけてもらうことができた。テープ起こしや目録の作成、閲覧用複製物の作製などに力を発揮して貰っている。他施設でも参考になるかもしれない。

 本学の歴史的に価値のある資史料の収集・整理・保存・公開のみならず、社会から期待されている理工系リーダー大学の資史料館としてもふさわしいものにしていきたいと考えている。

データシート
機関名: 東京工業大学博物館資史料館部門公文書室
所在地: 〒152-8850 東京都目黒区大岡山 2-12-1、 東京工業大学本館3階337号室
電話/FAX: 03-5734-3347 / 03-5734-3778
Eメール: centshiryou@jim.titech.ac.jp
ホームページ: http://www.cent.titech.ac.jp/indexArchives.html
交通: 東急目黒線及び大井町線の大岡山駅下車1分
開館年月日: 平成27年4月1日
設置根拠: 東京工業大学博物館規則
組織: 学長―博物館長―資史料館部門長―広報・社会連携課―公文書室
人員: 室長1名、担当職員1名、非常勤補佐員4名
建物: 東京工業大学資史料館(265㎡)の一部(54㎡)及び専用書庫約54㎡
所蔵資料: 平成28年4月公開に向けリストを作成中(特定歴史公文書等約100冊)
開館時間: 午前10:00~12:15、午後1:15~4:00
休館日: 土・日・祝日、年末年始(12月27日~1月5日)
主要業務: ・特定歴史公文書の受け入れと目録作成など利用に供するための作業
・収蔵文書の内容紹介を兼ねた学生・教職員・同窓生向けの読み物の刊行(とっておきメモ帳、発掘!東工大の研究と社会貢献、蔵前ゼミの印象記など)と広報活動
・文書管理担当者を対象とした研修の実施
・展示会等の普及活動
・特定歴史公文書の管理及び公文書室のより良い運営のための調査研究