トルコ首相府国家アーカイブズ総局主催国際フォーラム「第一次世界大戦100周年の文書(Documents of the First World War Centenary)」(於:イスタンブール)参加報告

国立公文書館アジア歴史資料センター
大野 太幹

フォーラム会場

 2015年3月19日から21日まで、トルコ共和国のイスタンブールで、トルコ首相府国家アーカイブズ総局主催の国際フォーラム「第一次世界大戦100周年の文書」が開催された。世界各地から70ヵ国・140名が参加する盛大なものであった。それら参加国のうち、52ヵ国が第一次世界大戦関係史料に関するプレゼンテーションを行った(別表参照)。
 会議ではセッションに先立ち、トルコ首相府国家アーカイブズ総局のユーグル・ウナル局長、国際公文書館会議(ICA)のデビッド・フリッカー議長(オーストラリア国立公文書館長)、トルコ共和国エルドアン大統領(発言順)によるスピーチが行われた。
 ウナル局長からは、第一次世界大戦から100年が経過したが、いまだ同大戦に関わった国や地域の間で歴史資料に関する情報の共有が十分にできているとは言えず、今回のフォーラムがその最良の機会となるよう期待している旨述べられた。フリッカー議長からは、歴史資料は過去を評価し、未来について考えるための重要な財産であること、歴史資料を謝罪のための材料にすべきではないこと、歴史資料を確実に、誠実に保存すべきことが強調されるとともに、どれほど時代が過ぎても歴史資料が死ぬことはなく、その中から新たな発見を得られる可能性があることが述べられた。これらのスピーチを受けて、エルドアン大統領からは、トルコ首相府オスマン文書館の意義と重要性を説明した上で、オスマン帝国時代の歴史的出来事をめぐり、近隣のアルメニアとの間に今も残る歴史認識問題(アルメニアは「オスマン帝国によるアルメニア人虐殺」を主張し、トルコは否定している)に触れ、オスマン文書館における積極的な史料公開を行っていることが述べられた。
 フォーラムの二日目には、セッション7において国立公文書館アジア歴史資料センター(以下、アジ歴)の有吉次長が、「第一次世界大戦期のトルコに関する文書:国立公文書館アジア歴史資料センター公開資料から(World War One Era Documents Related to Turkey: An Overview from Japan Center for Asian Historical Records, National Archives of Japan)」と題してプレゼンテーションを行った。同プレゼンテーションでは、まずアジ歴の設立経緯、デジタルアーカイブとしての役割、公開資料数などを説明した。続いて、第一次世界大戦関係資料につき、第一次世界大戦においてトルコと日本は実際に交戦することなく、それゆえアジ歴で公開している第一次世界大戦期のトルコに関する文書は少ないことを前提として述べたのち、連合国軍によるトルコの「『ガリポリ』半島上陸作戦」に関する日本陸軍作成の報告書を紹介した。さらに、やや時代は遡るが、と前置きした上で、日本とトルコ双方の国民間の友好関係を築くきっかけとなった、明治期に日本を訪問して和歌山県串本沿岸で沈没したトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難と、その救助にあたった日本の官民の尽力に関する文書を紹介し、これを嚆矢とする両国の長い友好関係に触れてプレゼンテーションを終了した。

有吉次長によるプレゼンテーション

 有吉次長のプレゼンテーションに対し、会場からは以下の質問が出された。①2,900万画像を公開しているとのことだが、それだけの数の画像データの中から求める文書を探し出すためには検索機能を充実させる必要があるが、目録データはどのような形式となっているのか。インデックス検索か、全文テキスト検索か。②デジタル化された資料と原本史料の関係性はどうなっているのか。
 上記の二つの質問に対し、有吉次長から、全文テキスト検索ではなくインデックス検索を採用しているが、特に文書の冒頭300字を採取することによって検索の範囲をできる限り広げるよう工夫していること、アジ歴ではあくまでデジタル化された資料を公開しており、原本史料は所蔵しておらず、原本史料を元の所蔵機関において閲覧することも可能だが、アジ歴ではデジタル化された資料をインターネット上で広く公開することで、利便性をより高めることに寄与している旨回答がなされた。

2.各国における第一次世界大戦関係史料

 別表の通り、開閉会式を除く各セッションはホールAとホールBの二カ所に分かれて同時間帯に実施されたため、すべてのセッションを聴くことはできなかったが、それでも二日間の開催期間を通して各国のプレゼンテーションを聞く中で、様々な形で第一次世界大戦に関わった各国における史料の所蔵状況の全体像を知ることができた。以下、今回聴くことのできたセッションに参加していた各国における史料の所蔵および公開状況について概括する。
 当然のことながら、主要な参戦国のアーカイブズには、第一次世界大戦関係史料が比較的多く所蔵されている。オスマン帝国期に同盟国の一員として参戦した、本フォーラム主催国のトルコについては次節で詳述するが、例えば、トルコ同様同盟国側として参戦したハンガリーには、兵士の従軍記録やトルコに設置されたハンガリー軍が運営する野戦病院に関する史料などが所蔵されている。
 協商国(連合国)側として参戦したイタリアには、第一次世界大戦関係として、イタリア海軍の情報機関が作成した文書、アフリカ戦線に関する地図、オスマン帝国の宮殿Sublime Porteにおいてアメリカ・イギリス・フランス・イタリアが、戦後のトルコおよびアラブを分割するため1919年2月12日に合意したSublime Porte Memorandumなどが所蔵されている。
 同じく、協商国側として参戦したルーマニアには、第一次世界大戦関係の史料が、国立公文書館・軍事文書館・外交文書館に分けて所蔵されている。国立公文書館には、陸軍省(Ministry of War)関係史料、ブカレスト市や地方都市に関する文書などが所蔵されており、それらの中に第一次世界大戦関係史料が含まれている。軍事文書館には、軍中央や各師団・連隊、衛生隊などの文書が所蔵されている。また、防衛省(Ministry of Defense)のコレクションの中にはルーマニア軍のみでなく、ドイツ軍の資料も含まれている。外務省外交文書館には、第一次世界大戦関係のコレクションがあり、その中にはルーマニアと諸外国との外交関係、ルーマニア赤十字社の活動、戦争捕虜の交換、ルーマニアにおけるボルシェビキに関する文書などが含まれている。
 カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった、当時ドミニオン(イギリス帝国の自治領)と総称された各国は、協商国側としてヨーロッパ戦線に派遣軍を出していた関係から、多くの第一次世界大戦関係史料を所蔵している。特に、オーストラリアとニュージーランドはANZAC(オーストラリア・ニュージーランド連合軍、Australian New Zealand Army Corps)として、激戦であったガリポリ上陸作戦で主力を担い、参加兵員の多くが死傷している。そうした関係から、第一次世界大戦100周年に際して、上記の3ヵ国では原史料の展示や、インターネット展示を積極的に行っている。また、第一次世界大戦で戦死した家族や祖先の足跡を、その子孫が辿るファミリーヒストリーに関する展示も行っている。なお、ニュージーランドのプレゼンでは、欧州に向かうニュージーランド軍の輸送船を、日本の巡洋艦が南洋で護衛した案件に関する文書が紹介された。
 他方、同じくドミニオンの一員として第一次世界大戦に参戦した南アフリカ連邦の国立公文書館には、数多く従軍していたはずの黒人ワーカー(正式の兵士と見なされていなかった)に関する史料がまったく所蔵されていないことが報告された。
 第一次世界大戦時にドイツに占領されたバルト三国のうち、エストニアには第一次世界大戦関係史料として、各地方から動員され従軍した兵士のリストや、ロシアの情報機関が作成した文書、ドイツ軍によるアルビオン作戦の一環であった現エストニア領サーレマー島上陸作戦に関する史料などが所蔵されている。リトアニアには、ドイツ侵攻時の写真史料、ドイツ占領時にドイツ当局が発行していたパスポートのコレクション、第一次世界大戦終結後の独立宣言書などが所蔵されているが、その数は非常に少なく、多くはソ連に接収され今も返還されていないため、現在はそれらのリトアニアに関係する史料をロシアの文書館からマイクロフィルムの形で収集しているという。
 印象深いケースとしては、ボスニア・ヘルツェゴビナ国立公文書館の例がある。第一次世界大戦時にオーストリア=ハンガリー帝国の保護領となっていたボスニア・ヘルツェゴビナには、もともと第一次世界大戦関係の史料はほとんど残されておらず、オーストリアの文書館等で収集したマイクロフィルムが主であった。然るに、それらを含め所蔵していた文書やマイクロフィルムの大半は内戦時にミサイルを撃ち込まれたり、火炎瓶を投げ込まれたりして破壊されてしまった。そのため、2014年から史料の修復作業を本格的に開始したとのことである。
 ムスリムの側から見た第一次世界大戦という視点からは、各地のムスリム社会によるオスマン帝国支援の動きに関する史料が紹介された。当時、イギリス帝国の植民地であったマレーシアには、セランゴール州ウル・ランガット(Ulu Langat)のムスリム社会からオスマン帝国への送金(すなわち資金的支援)についてのイギリス植民地当局の報告書、また逆に、セラク・ジョホールなど各州のスルタンが第一次世界大戦においてイギリス支援を表明した文書などが所蔵されている。
 インド国立公文書館には、インドのムスリム社会がトルコを支援するという内容のムスリム社会からの手紙をイギリス当局が接収し英語に翻訳した文書、1917年に発行された汎トルコ主義に関するパンフレットなど、ムスリム社会とオスマン帝国との関係に関する史料が所蔵されている。
 以上、紹介した各国は参加国のすべてではないが、それでも第一次世界大戦関係の史料が多様性を持って各国で所蔵・公開されていることが分かった。今回のフォーラムでは、世界各地の文書館関係者が一堂に会して、一定のテーマに基づき情報交換を行うことの重要性が再認識されたと言えるだろう。

オスマン文書館 外観

3.トルコにおけるアーカイブズと文書管理

 トルコにおいては、主要な文書館として、首都アンカラには首相府共和国文書館、トルコ軍参謀本部戦史・戦略研究文書館(ATASE, The Archives of the Turkish General Staff Directorate of Military History and Strategic Studies)、外務省外交文書館があり、イスタンブールには首相府オスマン文書館がある。第一次世界大戦関係史料では、オスマン帝国期の軍事関係の史料はATASEに、外交関係文書は外交文書館およびオスマン文書館に、オスマン帝国の陸軍省(Ministry of War)と各大臣(Grand Vizirate)間の往復文書などはオスマン文書館に所蔵されている。なお、首相府共和国文書館は、主として1920年以降の共和国政府の文書を所蔵しているが、今回のフォーラムは第一次世界大戦関連ということもあり、セッションには参加していない。
 そのため、本節ではセッションに参加したATASE、外務省外交文書館、首相府オスマン文書館の状況について紹介する。特に、オスマン文書館については、フォーラム終了後に見学させてもらう機会があったため、詳細に紹介したい。

(1)トルコ軍参謀本部戦史・戦略研究文書館(ATASE)
 同館は1967年にアンカラに設置され、オスマン帝国期の陸軍省(Ministry of War)から引き継いだ文書と、共和国成立以降の参謀本部の文書を所蔵している。同館が所蔵する主なコレクションは、以下の通りである。

クリミア戦争:1853~1856年
オスマン帝国‐セルビア・モンテネグロ戦争:1875~1877年
露土戦争:1877~1878年
オスマン帝国‐ギリシャ戦争:1897年
伊土戦争:1896~1914年
バルカン戦争:1911~1912年
第一次世界大戦:1914~1918年
独立戦争:1919~1922年
アタチュルク・コレクション
第二次世界大戦:1936~1948年

 史料中の言語については、ほとんどがオスマン語(アラビア文字で表記されたトルコ語)ないしはトルコ語(トルコ共和国成立後に定められた現行のアルファベットを用いたトルコ語)で書かれている。オスマン帝国期の史料には一部ドイツ語で書かれたものもある。
 同館では、史料の整理や研究活動のため、研究職の職員も雇用している。また、史料の修復やデジタル化も進めている。目録データについては、キーワード検索も可能となっている。閲覧者に対しては、デジタル化した史料をCDに収録して提供するサービスも有料で行っているとのことである。

(2)トルコ外務省外交文書館(Archives of the Turkish Ministry of Foreign Affairs)
 同館では、主として共和国成立後の外交関係文書を所蔵している。内訳としては、10,742箱・6,530万ページの文書史料、帳簿(Register Books)9,000部、ブックレット3,500冊がある。それらの中には、トルコ共和国のみならず、近隣諸国の外交に関する文書も一部含まれている。
 上記の文書は、1919年から1928年までのものはオスマン語かフランス語、1928年から1958年までのものはトルコ語かフランス語、1958年から2008年までのものはトルコ語・フランス語・英語のいずれかで書かれている。
 トルコにおいても諸外国同様、外交文書の30年公開ルールがある。人的・財政的な制約から、すべてその通りに公開できている訳ではないが、作成から30年が経過した文書については、できる限り早く公開するよう努めている。
 同館が現在、最も力を入れていることは、所蔵史料のデジタル化である。同事業はDiplomatic e-Archives Projectと称され、2013年から準備作業を始め、2014年12月から開始された。2015年末までに2,500万ページをデジタル化する予定であり、主要な史料のデジタル化を3年間で完了する計画である。設備としては、2種類のスキャナーを紙の質に応じて使用しており、一日に10万ページをデジタル化できる体制がある。
 同館では、各プロジェクトや文書の分類に対して助言や提言を行う諮問委員会(Advisory Committee)、および史料の目録データ作成やソフトウェアへの対応、検索エンジンの有用性について助言を行う有識者小委員会(Academic Sub-Committees)を設置している。同館のスタンスとしては、あくまで研究者の利用に供することを目的としているとのことである。

オスマン文書館展示ホール

(3)首相府オスマン文書館(The Ottoman Archives)
 同館には、オスマン帝国期の文書約9,500万件および帳簿(Register Books)約40万冊が所蔵されている。それらの文書および帳簿は、すべてイスタンブール郊外のオスマン文書館複合施設(The Complex of the Ottoman Archives)に保管されており、閲覧・利用も同施設で行うこととなっている。
 オスマン文書館複合施設には、管理棟・350名収容可能な閲覧室・図書館・展示ホール・マイクロフィルム部門・デジタルアーカイブ部門・修復部門・出版部門・資料整理部門・700名収容可能な会議場などがあり、その面積は約130,000㎡と広大である。オスマン文書館だけでも、約800名の職員が業務に従事している。史料の出納には、敷地が広大なため、屋内にも関わらず荷台付三輪車やゴルフカートを利用している。
 同館が所蔵しているオスマン帝国期の史料は、そのほとんどがオスマン語で書かれているが、約100万件のフランス語で書かれた文書、およびペルシャ語、ドイツ語で書かれた文書もある。オスマン帝国期の史料は、全史料の約20%が要修復の状態にあり、同館の修復部門では30名のスタッフが修復作業に従事している。なお、修復に使う材料は、和紙など日本製のものを使用しているとの説明があった。

明治天皇親書(オスマン文書館蔵)

 同館では、史料のデジタル化も進めており、全体の約20%(約1,000万画像)がデジタル化されている。キーワードによる検索は、現在のところトルコ語に限られているが、将来的にフランス語・ドイツ語での検索も可能とする計画である。
 また、文書館に併設されている展示ホールも広大で、オスマン帝国期の文書や地図、文書の保存箱などが、原本およびそれを拡大した複写が併せて展示されており、日本関係では明治天皇からトルコの皇帝に勲章を授与した際に添えられた明治天皇の親書も展示されていた。