平成29年度夏季企画展「長野県誕生!―公文書・古文書から読みとく―」を開催して

長野県立歴史館学芸部
文献史料課 伊藤 友久

1.はじめに

オープニングセレモニーで挨拶する阿部守一長野県知事

 長野県立歴史館(以下、「当館」。)は、歴史博物館としての位置づけと、長野県の歴史公文書等を収集・整理・保存する公文書館機能をあわせもつ複合施設である。温湿度管理された書庫内には、32万点を超える公文書等が収蔵されている。特に歴史資料として収蔵される公文書は、明治以来の長野県政を知る上で欠くことのできない貴重な地方行政文書群である。それは、県庁舎が戦火を受けず、戦前の公文書が奇跡的にも多数残されたことから、全国的にも稀な歴史資料群として位置づけられることによる。このため、幕末・明治初期から昭和21年までの公文書10,783点は、「長野県行政文書」として、平成20年に長野県宝(県指定文化財)に指定された。

 その貴重な県民の宝を周知する手段のひとつとして、公開の機会を得たのが今回の企画展である。大政奉還150年を機に長野県がどのように成立し、当時の人々はそれをどのように受け止めたのか。当館所蔵の歴史公文書を中心に、明らかにしようとするものであった。今日にあって、長野県政に携わる方々や県職員はもちろんのこと、県民にも是非とも知っておいて頂きたい、特に学校で教鞭を執る社会科系の先生方にとって知っておかねばならないと思われる内容を盛り込む展示となった。また、知事をはじめとする行政を束ねる立場の方々の来館を得たことはこれまでにないことでもあった。

2.企画展内容の構成

夏季企画展チラシ(表面・裏面)[図をクリック]

2.1 展示趣旨

 今から150年前の慶応3年12月9日(1868年1月3日)、「王政復古の大号令」にはじまる新政府確立への道は明治維新と呼ばれ、近代日本の出発点とされている。江戸時代、信濃国は10を超える藩や細分化された天領によって構成されており、版籍奉還、廃藩置県を経て、最終的に「長野県」が管轄することとなった。しかし、早くから分県移庁論が唱えられ、今でも「長野県」を信濃、信州と呼ぶことが多い。この企画展示では、長野県がどのように成立し、人々はそれをどのように受け止めたのかを、当館に所蔵する歴史公文書を中心に明らかにする。そして、私たちの信州、長野県の来し方、行く末を見詰め直し、これからを切り開くきっかけとするものであった。

2.2 開催期間

   平成29年7月8日(土)~同年8月28日(月)

2.3 展示構成

【プロローグ 信濃国と長野県】
・展示全体を理解するために、展示に関わる年表「信濃国から長野県へ」や、「信濃国」と「長野県」に関する歴史的事項の解説に写真を交えパネルで示した。

【第1章 江戸から明治へ】
・明治政府の基本的政策と、廃藩置県に至る地方支配の移り変わり、新しい時代の様子を概観した。
《1-1. 新政府の成立》
・明治新政府の基本方針を示す「王政復古の大号令」及び「五箇条の御誓文」(写真パネル展示・国立公文書館所蔵品)及び高札「五榜の掲示」(上田市立博物館寄託資料)を展示し、明治維新の出発点を示した。
《1-2. 地方支配の移り変わり》
・新政府の支配体制確立の画期である旧幕府征討、版籍奉還から廃藩置県までの全国的な流れを「江戸を東京と改称する詔」及び「明治改元の詔」(写真パネル展示・国立公文書館所蔵品)で、新しい文化をパネル中心に展示した。

第一展示室でのギャラリートークの様子

第二展示室導入部


【第2章 行政機関としての長野県の成立】
・江戸時代の分権的支配構造(天領・藩体制)が解体し、近代長野県が複雑な過程を経て成立することを行政的側面から示した。
《2-1. 伊那県の成立 ―旧幕府領接収》
・尾州御取締役所から伊那県へ、「信濃国に在る徳川領地を天料に復し尾張藩をして仮管せしむ」(太政類典、国立公文書館所蔵品)と「伊那県を置く」(公文録、国立公文書館所蔵品)、「伊那県布令書」(県立長野図書館所蔵品)など展示した。旧幕府領の統一的支配の進展について、複雑な過程をたどったことを「長野県沿革略譜」表や「縣藩変遷」図パネルを用いて示した。また、政体書で示された「県」とは、ひとまとまりの領域をもったものではなく、役所組織を意味したことを示した。

[図をクリック]

[図をクリック]

《2-2. 版籍奉還 ―松本藩の場合》
・版籍奉還で、県・藩が中央政府の支配下に入ったことを、松本藩の事例「松本藩主戸田光則藩知事辞令」(松本城管理事務所所蔵品)と人物パネルで示した。
《2-3. 廃藩置県》
・廃藩置県で、14県が成立したことを示した。そのために、長野県行政文書等の中から「藩→県」への推移がわかる資料として「上田藩知事松平忠礼免官辞令」(上田市立博物館所蔵品)と人物パネル、「伊那県を分けて中野県を置く」(公文録、国立公文書館所蔵品)等を展示した。

[図をクリック]

[図をクリック]

《2-4. 県の統廃合 ―長野県と筑摩県》
・長野県、筑摩県の二つの県にまとまる。それぞれの特徴について展示した。
《2-5. 長野県の成立》
・明治9年の長野県の成立以後の県政の様子を、明治10年代前半頃まで示した。

[図をクリック]

[図をクリック]


【第3章 庶民から見た「長野県誕生」】
・当初、役所を意味した「県」が、明治初期の地方行政制度の変遷の中で、次第に領域を示す自治体としての性格を持つようになったことを、庶民の視点から展示した。
《3-1. 「県」は役所》
・「県」は役所、領域を意味せず、「国」が領域を示すことを「政体書」(太政類典、国立公文書館所蔵品)や「戸籍法」「日本全国戸籍表」などで示した。
《3-2. 自分の居所の表し方 「○○県管下信濃国○○郡○○町・○○村誰それ」》
・幕末から明治初期の「居所表記」の変遷を原史料で示すことにした。これにより、領主は誰で、信濃国のどこの郡の何村に属しているかという江戸時代以来の二重表記が、明治に入っても継続されたことを表した。これは、人々が支配の客体としてとらえられていたことでもあった。
《3-3. 信濃国絵図から長野県地図へ》
・信濃国・長野県地図を例に、「長野県管内信濃国地図」から「長野県地図」への変遷をたどり、役所の所在地を指し示す長野県から、領域概念・地域概念として解釈される長野県への移行期を読み取ることとした。

第二展示室演示台上の「伊那県管内信濃国全図」

《3-4. 自治体としての村・町》
・明治11年の郡区町村編制法など三新法により、村・町の自治体としての性格が生まれたことを表す「三新法」(公文録、国立公文書館所蔵品)などを展示した。

【エピローグ 長野県民とは何か】
・町村の自治体の成立を背景に、県も領域をもつ自治体へと変化した。領域を有し住民によって成り立つ「県」の成立は、府県制への移行が大きな契機であったことを表す「市制・町村制」及び「府県制・郡制」(公文類聚、国立公文書館所蔵品)などを展示した。

夏季企画展関連行事手刷チラシ[図をクリック]

2.4 関連行事

 (1) 講演会
  日  時:平成29年7月15日(土)13:30~15:00
  テ ー マ:「地方制度にみる明治維新」
  講  師:松沢裕作 氏(慶應義塾大学経済学部准教授)
 (2) 講座
  日  時:平成29年8月12日(土)13:30~15:00
  テ ー マ:「伊那県・筑摩県そして長野県」
  講  師:青木隆幸(当館学芸部長)
  テ ー マ:「ここはどこ、私はだれ 明治初めの住所と名前」
  講  師:福島正樹(当館学芸員)
 (3) こども体験教室
  日  時:7月30日(日)10:00~15:00
  タイトル:「プラ板で県のハンコをつくってみよう」
  内  容:小学校低学年生とその保護者を主な対象とした。展示室でハンコのある文書や資料をさがし、自分だけのハンコのアクセサリーをプラ板で制作する体験教室。文字は、県印や藩印などの見本から選択、あるいは好みの文字を書き写したプラ板をオーブントースターで加熱し、全体が縮むことで焼き付き定着させた。収縮がおさまったところで取り出し、雑誌に挟み込むことで面の波打ちを平らに補正しながら温度を下げ、キーホルダーを取り付け完成させた。材料費100円。完成までの時間は20分位。

こども体験教室(プラ板体験の様子)1

こども体験教室(プラ板体験の様子)2

2.5 関連印刷物等

 (1) チ ラ シ:A4判 表裏とも4色カラー 20,000枚
 (2) ポスター:B2判 片面4色カラー 2,100枚
 (3) 展示図録:A4判 98頁 1,000冊

3.おわりに ~夏季企画展の会期を終えて~

 当館行政文書書庫に保管され、閲覧を待つ公文書等の各々が主役となり、来館者に語りかける光景。その大半を占める行政文書を並べた企画展とはどのようなものか。当初から考えられていたことは、地味な展示となるということだった。そのため、「五榜の掲示」の高札は立てて入口に配置し、大きな絵図や地図などを専用演示台に広げたり壁面に掛け、朱色の県印や藩印の印影を簿冊と簿冊の狭間に配置するなど、単調にならないよう工夫した展示構成を試みた。また、国立公文書館所蔵の重要文化財指定資料等が、短期にせよ借用を得られ展示出来たことは、広報の面からも大きな宣伝効果をもたらした。
 当館は、「長野県民から真に必要とされる歴史館になってゆくように努める。とりわけ、長野県の未来をつくってくれる子供たちの印象に残る館を目指して活動する。」を組織目標のひとつとして掲げる。本企画展は、年度初めからはじまる学校見学が落ち着き、会期中に夏休みを迎える時期に当たる。このため、関連行事に子供向けのものを取り入れたプラ板の制作体験を企画し、親子に開かれた企画運営をも心掛けた。これらのことを踏まえ、幕末から明治維新を経て成立した「長野県誕生」展を開催することが出来た。
 本企画展を通して、長野県誕生の歴史は遠いむかしの事のようで近い出来事で、それは学校でも習わない、先生方も知らないという驚きがあった。
 慶応3年10月14日(1867年11月9日)に起きた大政奉還の衝撃と、これからの世の中はどうなるのか。どうなってしまうのか。それを、当時の人々がどう捉えたかを示すことが出来たのではないかと思っている。そこに、人を引き付ける魅力があったことに気付かされる展示となった。それは、企画展用に作製した展示図録が、会期中に完売したこと、会期を終えてもなお、問い合わせが絶えないことからも明らかである。
 この企画展を機に、公文書には知らない史実がまだまだあり、そのことを県民、研究者等に周知することができたのではないかとも思っている。公文書の収集・整理・保存を責務とする立場に在って、公文書等は利用されてこそ価値があると、今回の企画展を通してあらためて感じることができた。