「国際アーカイブズの日」記念NAA国際シンポジウム及びNAA新保存施設(NAPF)開所式に参加して

内閣府北方対策本部
参事官(前国立公文書館次長) 齊藤 馨

NAPF入り口付近

1. はじめに

   筆者は、去る6月、国立公文書館の同僚諸氏とともに、本年のオーストラリア国立公文書館(National Archives of Australia、以下「NAA」とする。)における「国際アーカイブズの日」記念イベントとして開催された国際シンポジウム及びNAAの新保存施設(National Archives Preservation Facility、以下「NAPF」とする。)の公式開所式典に参加するという大変貴重な機会を得た。シンポジウムには、オーストラリアも含めて世界12カ国の国立公文書館の関係者をはじめ、内外から様々な関連分野の専門家、研究者等、約200人が集まり、多くの国立公文書館が直面している様々な共通課題についてのプレゼンテーションやディスカッションが行われた。残念ながら筆者が日本の国立公文書館を代表して我々の知見を披露する機会はなかったが、何れのスピーカーの話もとても示唆に富み、それらを直に聴くだけでもとても意義のあるものであった。また、シンポジウムの翌日に開催されたNAPFの公式開所式典は、オーストラリア連邦政府でNAAを所管する司法長官のジョージ・ブランディスを始めNAAの諮問委員会のメンバーを務める連邦議会議員、各国の駐豪大使などのVIPが多数参列するとても盛大なものであった。私たちも日本の国立公文書館からの代表団としてささやかながら式典に彩りを添えることができたのではないかと感じたものである。

2. 国際シンポジウム

   6月8日(木)に開催された国際シンポジウムはランチを挟んで午前・午後がそれぞれ独立したトピックスのセッションで構成されており、午前が記録遺産へのグローバルな観点」、午後が「政府の情報政策への関与」をテーマに、それぞれ数名の国立公文書館長等からのプレゼンテーションとそれに続くパネル方式での質疑応答という形式で進められた(プレゼンテーションの一覧は表1を参照。)。

表1

   午前の部では、メキシコのプレゼンテーションについては歴史的、民族的、国家的に重要な記録遺産が不法取引や適切な受け入れ体制がないために散逸、喪失されているという問題が、ニュージーランドについては先住民族(マオリ族)に関する記録(有形のものだけでなく無形のものも含む)の保護における配慮等の取組みが、フランスは記録遺産、アーカイブズを通じた国際協力(二国間協力)・交流の効果や成果が、ケニアは国外に流出した記録遺産の収集とその直面している課題が、パプア・ニューギニアは第二次大戦時の日本軍によるオーストラリア侵攻で同国を通過した際の状況に関するオーラルヒストリー収集の取組みがそれぞれ内容の中心ではあったが、それら具体のトピックスの説明を通じてそれぞれの国立公文書館の業務、活動の全貌や課題、問題意識が垣間見れたことがアーカイブズ分野の国際会議参加経験が初めての筆者にとってはより大きな収穫であった。特に印象的であった点は、何れの発表者も国立公文書館の役割や任務をとても大きく捉えており、例えば、少数民族も含めた民族的、歴史的な記録の保存・収集などはその本来業務であるという共通認識があるように思われた。また、アーカイブズに関する国際協力・交流を単なる現場レベルの技術的なものとしてではなく、支援する側も受ける側も、国同士の国家戦略的な文脈の中で議論していることはとても新鮮であった。
   ランチを挟んだ午後の部ではガラリと変わって情報技術、情報政策をテーマとして取り上げ、英米の国立公文書館長が登壇して、それぞれオープン・ガバメント政策におけるアメリカ国立公文書記録管理院(National Archives and Records Administration、以下「NARA」とする。)の果たす役割と、デジタル時代のアーカイブズ・アーキビストについて(イギリス国立公文書館、The National Archives、以下「TNA」という。)、プレゼンテーションを行った。また、本シンポジウムのスポンサーでもあるキャンベラ・データ・センター(オーストラリア連邦政府にストレージ・サービスを提供している民間企業)からの参加者も技術進歩に伴なう課題についてのプレゼンテーションを行った。このセッションにおける筆者にとっての最大の発見は、英米を始めとする欧米のいわゆる「国立公文書館先進国」ですらデジタル時代のアーカイブズ、とりわけデジタル分野のアーキビストに関しては具体的な対処方針や行動計画を策定し、着実に対応を進めているという段階には至っていないということであった。それまで国立公文書館の世界では歴史ある欧米諸国の方が我が国よりもあらゆる面で進んでいるのではないかと思い込み、事ある毎にNARAやTNA、NAAなどではどうしているのだろうかと確認しようとしていたが、ことデジタルの分野に関しては彼らのリードはそれほど大きなものではないことが分かったことである種の安堵感を得られるとともに、今後の我々の取組み方によっては彼らとともにこの分野のフロントランナーとなって貢献するという可能性も感じたしだいである。

シンポジウムの様子

   最後に、本シンポジウム全体を通じて特筆すべきと感じたことにも触れておくこととする。それは、このイベント自体が民間企業(キャンベラ・データ・センター)の協賛により開催されたということである。スタッフ等は相当程度NAA職員が対応していたが、会場やランチなどは協賛により賄われているとのことであった。今後、我が国においても、このようなやり方を積極的に取り入れていけば、単に事業、イベントを増やせるというだけでなく、より世の中のニーズに即したものを実施することによって、参加者だけでなく、より多くの人々に対して発信していくことができるのではないかと感じた。


3. NAPF公式開所式

   NAPFは、キャンベラの中心部から北に車で30分程度のミッチェルという町にある。シンポジウムの翌日に行われた公式開所式には、シンポジウム会場から各国の国立公文書館関係者と一緒にNAAの用意してくれたバスで向かった。途中、野生のカンガルーに出くわすなどオーストラリア気分に浸りながら向かったその先にあったのは、筆者が想像していたものよりも格段に巨大で、内容的にも充実した新築の保存施設であった。
   NAPFの概要はNAAの発表によると、床面積約17,000㎡、紙資料用の書架延長100㎞超、視聴覚記録用の書架9㎞超、スタッフ数135名以上とのことなので、これだけで我が国の国立公文書館に匹敵するほどの規模ということとなる。環境配慮の面ではソーラーパネル720枚、9万ℓの雨水タンクを備えている。また、地元経済との関係では可能なものは全て地元調達したとのことで、その割合は95%以上とのことであった。
   天井高10mはあろうかという巨大な荷捌き室に特設のステージを設けて行われた公式開所式は、アボリジニーの伝統楽器の演奏とアボリジニー語によるスピーチで幕を開けた。続いて来賓として挨拶に立った司法長官のジョージ・ブランディスは、オーストラリア社会における記録や文書を残し、後世に伝えていくことの意義とNAAが果たしている役割と期待、NAPF完成の意義などについて、ご自身の言葉で10分近く熱弁を振るわれたことは、日頃、形ばかりの来賓挨拶に慣れ親しんでいる筆者にとっては、驚きを超えて感動的でさえあった。また、公文書の管理に関するオーストラリア連邦政府の本気度や定着度の一端を垣間見た思いがした。

公式開所式典の様子

公式開所式典・記念プレート



NAPF全景

   公式開所式に続いて行われた式典参加者向けの見学会では、修復室、撮影室、書庫をじっくりと見学することができた。実は筆者はこの見学会を今回の出張の中で特に楽しみにしていたのだが、それは現在、我が国においても政府部内で新たな国立公文書館の建設プロジェクトが進行中で、国立公文書館も現場を預かる立場から参画しており、筆者も日々、新館の施設、設備、機能などについて思案しているからである。あわよくばそのまま引き写せるようなお手本が見つかるのではないかと・・・。そんな筆者がいきなり痛感させられたのが、オージー流設計思想のシンプルかつ大胆さであった。とにかく全てが大きく、広々と作られており、如何に空間を効率的に使うかということに腐心している我々が取り入れるには一工夫必要だろうと感じた。とはいえ、広々と作業台が設置され、人間工学に基づき立っても、座っても最適な姿勢で作業できるように配慮された修復室は、世界中の国立公文書館関係者たちから羨望も込めて称賛の声が上がっており、我々の新館も是非このような執務・作業環境を整えたいと決意を新たにしたところである。

コリドー1

コリドー2

修復室1

修復室2


4. 結び

   このように様々な驚きや発見を与えてくれた今回の出張であったが、改めて振り返ってみると、その多くがある一つの事実に起因しているということに思い至った。それは我が国といわゆる「国立公文書館先進国」の社会における(国立)公文書館文化の成熟度に違いがあるのではないかということである。ここで言う成熟度とは単に立派な施設があるとか法律・制度があるということではなく、人々が如何に国立公文書館を必要とし、信頼し、利用しているかということである。これがなければ、民間企業にとって国立公文書館の会合のスポンサーになることの意義を見出すことも難しく、有力な政治家が熱弁を振るおうにも適当な機会や聴衆も見つからず、民族的、歴史的な記録も含めて様々な記録を収集するという任務も付与されないはずである。筆者がこれらに対して感心し、驚かされていたことは、実は、これらの事実を通じてその根底にある彼らの社会における公文書館文化の成熟度に畏敬の念を感じていたのにほかならないのではないか。このギャップを埋めるため、諸外国の先進的な事例のエッセンスを取り入れつつ、我が国流にアレンジしていくことが我が国立公文書館に課せられた使命なのではないだろうか。