〔認証アーキビストだより〕
アーキビストになるまで、アーキビストになってから

国立公文書館 統括公文書専門官室
上席公文書専門官 依田 健

はじめに
  私は、現在、国立公文書館(以下「館」と表記)で評価選別担当の業務をしています。
館におけるアーキビストとしての評価選別担当の業務は、これまでも複数の同僚が紹介していますので、ここでは、私がアーキビストになるまでに行ってきた館外での業務のうち現在の業務に生かされているもの、また、アーキビストになってからの業務等が館外での私の業務に生かされているものについて紹介することとします。
  (注)堅苦しさを少なくするため正式名称等はあまり使っていません。

1 アーキビストになるまで
  私は、館で勤務する以前は、数十年間、内閣府等の国の行政機関で勤務していました。主に内閣府(旧総理府)や内閣官房ですが、その他では、総務庁、沖縄開発庁、文部科学省というように、いろいろな機関で勤務し、いろいろな分野の業務をしてきました。今回は、その中で、公文書管理に関係する業務について紹介したいと思います。
  私は、平成21年4月、内閣府に公文書管理制度を担当する公文書管理課が設置されたと同時に、同課に異動しました。この時期は、公文書管理の法案が国会に提出され審議が始まる直前で、異動してから同年6月に同法が国会で成立するまでは怒涛の日々でした。中でも一番記憶に残っていることは、提出された法案の内容が国会において修正され、行政文書を廃棄するには内閣総理大臣の同意が必要となったことでした。今となっては、大変良い修正だったと思っています。また、法案検討時に想定していた理想と現実は違ったと思うこともあります。当時は、歴史公文書であれば移管が義務化され自動的に移管とされることにより、移管される文書は増えるものと考えられていましたが、現実には、いくら移管となる基準があるとはいえ、個々の行政文書がその基準に該当し歴史公文書になるか否かを判断すること、或いは、それを確認することが、想定していたほど簡単なことではなく、多くの知識と経験が必要なことだと思っています。
  また、同時期に、司法府との間で初めて移管の定めを締結することに向けて、最高裁判所との協議を重ねていました。この協議は、私がその3年程前(平成18年)に、館に一時期在籍していた時に取り組んだことでもあり、内閣府と最高裁判所と館との間で長年にわたって検討してきたことでもありました。その結果、平成21年8月、内閣総理大臣と最高裁判所長官との移管の定めが締結されました。公文書管理法の成立直後に、司法府からの移管が決まった訳ですが、その時は、公文書管理法の成立が後押ししてくれたのかもしれないと思ったことを覚えています。
  司法府からの移管を始めるに当たっての一番の論点は、裁判文書の移管の対象でした。司法府には裁判文書と司法行政文書があります。司法行政文書は裁判所の規則を定める決裁文書等行政機関の文書とあまり変わらないので、行政機関でも移管となるようなものが移管の対象となったのですが、裁判文書は他に参考となるような例がないのでそう簡単にはいきませんでした。裁判文書のうち刑事事件の記録は検察庁にあるので、裁判所にあるのはそれ以外の民事事件等の記録ですが、まずは民事事件の記録を移管の対象としました。それは円滑な移管を進めていく観点からですが、現在に至るまでその対象は広がっておりません。近年裁判所で重大な少年事件の記録が廃棄されたとの報道もありましたが、その少年事件、或いは家事事件等その他の事件の記録は現在も移管の対象とはなっていません。また、民事事件の記録といっても、様々な文書があり、移管の対象となったのは判決の原本は全てですが、事件の記録は最高裁で「特別保存」と指定されたわずかなものだけでした。それは現在も変わっていません。
  公文書管理法の成立以降は、平成23年4月の同法施行に向けての準備が始まりました。まずは、公文書管理法施行令と行政文書や特定歴史公文書等にかかるガイドラインを作ることでした。行政文書のガイドラインは各行政機関で作成する行政文書管理規則の基となるもの、特定歴史公文書等のガイドラインは各国立公文書館等で作成する特定歴史公文書等の利用等規則の基となるものです。各行政機関や館から多くの協力を得ながら検討が行われましたが、中でも一番の難題は、行政機関にはどのような文書があり、それらは移管なのか廃棄なのかの基準を決めるというもので、時間はかかりましたが何とか固まりました。それぞれのガイドラインが固まった後は、全ての行政機関の行政文書管理規則と国立公文書館等に指定された施設の特定歴史公文書等利用等規則を調整し、公文書管理委員会に諮るということが行われ、何とか施行日に間に合わせることができました。
  また、同時期に、中間書庫のパイロット事業を開始しました。中間書庫とは、保存期間が一定期間以上で、かつ作成から一定の期間が経過した文書を集中管理する書庫です。この事業は、中間書庫を導入することにより、文書の散逸を防ぎつつ良好な環境の下で保存し評価選別することを可能とするもので、内閣官房長官主宰の懇談会で提言された「中間書庫システム」の実証実験という位置付けです。この時は、内閣府庁舎の近郊に、文書を保存する施設を借り上げ、内閣府内の各部局の文書で一定の条件を満たすものを預かり、保存期間が満了したときに移管するか廃棄するかを選別するということを実施しました。この事業は、内閣府内各部局の協力を得て多くの文書が集まり、ほぼ出来上がっていた行政文書のガイドラインの移管・廃棄の基準を基に、実際の文書を見ながら評価選別したことにより的確な判断ができたと思っています。この事業は公文書管理法が施行されると同時に終了しましたが、同法を受け改正された国立公文書館法により、館が中間書庫業務を行うこととなりました。その結果、この事業で預かっていた多くの文書は、館において新たに設置された中間書庫において引き続き保存されていきました。この中間書庫業務は、現在も館で行われており、設置場所は変わり、また、評価選別は行っていませんが、保存期間が満了した歴史公文書は、行政機関からの希望があればそのまま館に移管され、特定歴史公文書等として保存されています。
  その他、公文書管理法が施行されるまでに行う必要があることとして、館以外で、国立公文書館等として指定する施設を決める必要がありました。そこで、公文書管理法の対象の行政機関や独立行政法人等で特定歴史公文書等を保存・利用するための独自の施設を持つ必要がある各地の機関を訪問し調査を行いました。訪問した機関では、特定歴史公文書等を保存することとなる書庫の状況や、それを利用するための施設を見ましたが、古くからある施設でも工夫して良好な環境で保存している状況などそれぞれの施設の特徴を生かした保存方法があると思いました。
  平成23年4月に公文書管理法が施行された後は、新たに、行政文書のレコードスケジュールの確認や廃棄協議を行う必要があり、その確認の方法について館と相談しながら試行錯誤で開始しました。公文書管理課も館も各行政機関も全く初めての業務で、公文書管理法施行初年度は、これらの業務に多くの時間が費やされました。新たに作成された文書だけでなく、同法施行時に保存されていた1千万ファイル以上に及ぶ文書の確認をしなければならず、大変な業務が始まったと思ったことを覚えています。
  また、こんなこともありましたという紹介を一つ。公文書管理法が施行された翌年の1月、ある日曜日の午後7時のニュースを見ていたら、緊急災害対策本部など東日本大震災に対応するために設置された会議で議事録等が作成されていないというニュースがトップに流れました。日曜日の夜でのんびりしていた気分が一気に吹っ飛びました。翌日からは、会議を担当する機関への聴取や関係機関への説明、原因分析など怒涛の日々が待っていました。その原因分析や改善策を取りまとめ、公文書管理委員会等での説明や、歴史的緊急事態に対応する会議については記録を作成するというガイドラインの改正に至りました。
  公文書管理法施行後2年間、合計すると4年間ほど公文書管理課に勤務した後、内閣官房に異動しました。そこでは内閣官房における公文書管理の窓口業務を所管しており、内閣府公文書管理課や館との連絡調整、或いは、内閣官房内の各部局との公文書管理に係る連絡調整や問合せへの対応、各部局から上がってきたレコードスケジュールや廃棄協議を確認し館に提出するという業務を行いました。それ以外でも、文書の館への移管作業や、館に利用請求があり館から内閣官房に利用制限内容の確認があったものへの対応等を行っていました。
  国の行政機関で勤務した数十年間の中で公文書管理以外の業務では、冒頭でも述べたように、いろいろな行政機関で様々な業務を行い、様々な文書を作成してきたので、行政機関で作成された文書の名称から少しはその内容を推察でき、館で行っている行政機関から提出されたレコードスケジュールや廃棄協議の確認に役立っているものと思っています。
  このように、アーキビストになるまでに、内閣府の公文書管理課で公文書管理制度を担当した後、公文書管理を運用する一つの行政機関である内閣官房で公文書管理の運用を担当し、現用の公文書管理の様々な業務を経験しました。

2 アーキビストになってから
  私は、これまでの行政機関の職員だった経験と館での経験を生かし、いくつかの自治体の公文書管理に、具体的には、自治体の公文書管理・公文書館の条例やその下位の規程(公文書管理規程等)等を検討する会の委員として、これまで、山形県、群馬県、東京都、長野県、三重県、高知県、つくば市、高知市に関わらせていただきました。それらは条例制定検討会(以下「検討会」と表記)や公文書管理委員会(以下「委員会」と表記)などと言われるもので、弁護士、大学教授等、歴史研究者、アーカイブズ機関関係者、報道機関関係者、行政機関関係者等が構成員で、5人程度の委員で構成されることが多いものです。検討会で条例を検討し、条例ができた後は、条例で設置された委員会で、条例の下位規程を検討しています。さらに、私が委員となった委員会では、様々な規程が策定され条例が施行された後は、主に、保存期間が満了した公文書(年間数万件)にかかる移管・廃棄の適否について審議をしています。その他、移管された公文書の利用請求にかかる審査請求があった際や、様々な規程を改正する際にも審議します。今回は、この中で、私の印象に残っているものや特徴的だと思ったものについて紹介したいと思います。
  三重県で条例を検討した際に、特に、他の自治体にはないような条文の内容として驚いたものがありました。それは、条文に公文書の書換え禁止規定が明記されたことです。これは、既に刑法にある文書偽造の罪の規定に比べて、より多くの行為を禁止するためのもので、これに反すれば懲戒処分の対象となる場合があるとのことでした。その他に珍しいものとしては、利用請求のあった際、公共の安全等の情報ばかりでなく個人に関する情報も含め全ての情報についても、移管時に意見がついたもの全てに対して移管元機関に意見を聞く必要があるというもので、さらに、公文書館と移管元機関との意見が違った場合には委員会に諮ることを考えているという発言もありました。公文書管理法上求められておらず、また、館が行っていないことで少し心配ではありましたが、反対はしませんでした。
  山形県で条例を検討した際に、今でも印象に残っているものは、条例を制定するのは都道府県レベルでは7番目、東北では初めてとのことで、県民の関心が高く、条例を検討する会議の様子は毎回報道されていました。

高知県公文書管理委員会の様子

高知県公文書管理委員会の様子

  高知県で条例を検討した際に、内容に特に特徴があると思ったことは、現用の公文書の保存期間満了時に、移管か廃棄かについて、実施機関でまずチェックし、次に県立公文書館がチェックし、さらに委員会でもチェックするという3重のチェックの仕組みを設けていることでした。廃棄のものだけでなく移管のものもチェックすることは他に例がないものでした。現在でもこのような自治体は他にないものと思っています。また、条例の施行規則では、公文書館の業務として、県内の市町村等への文書管理の助言や支援を行うことが明記され、これも特徴的なものと思っています。条例施行後の委員会では、保存期間が満了した公文書で実施機関において移管か廃棄かを判断したものについて、県立公文書館の確認を得たものの審議を行っています。委員会に諮問があるのは、年間、4~8万件程度で、3回に分けて審議されています。実施機関と県立公文書館の判断が相違しているものもあり、その審議も行っています。県立公文書館では結構な数のものを廃棄から移管に、或いは、移管から廃棄に措置を変更していると思いますが、それでもなお、委員会において、毎年度結構な数のものが諮問と異なる答申をしています。その多くが廃棄不適当というものですが、少ないながら移管不適当というものもあります。そのようなことから、やはり実施機関で移管と判断されたものについてもチェックが必要だと思っています。
  群馬県で条例成立後設置された委員会では、条例施行までの間に施行規則や全16実施機関の文書管理規程の審議を行う必要がありました。群馬県では、保存期間が満了したものを廃棄する際の委員会への諮問はなく、県立文書館でチェックするというものだったので、それぞれの実施機関の文書管理規程にあるそれぞれの文書の移管と廃棄の基準については今回しか確認できないとの思いで、委員会でかなり多くの質問や意見を出させていただきました。その結果、それぞれの実施機関には再検討などで多くの時間を費やさせてしまうこととなってしまいました。当時決まった移管・廃棄の基準について、条例施行後に不都合なことが生じていないか気になるところですが、県立文書館でのチェックがスムースに進んでいることを期待しています。
  長野県での条例施行後の委員会では、保存期間が満了した公文書で実施機関において廃棄とされたものの適否について主に審議を行っています。実際の確認方法は、委員全員で事前に、実施機関から提出された廃棄とされた文書の名称等を記載したリストを見て、それぞれの委員が廃棄に疑義があるとして現物を確認する必要があるもののリストを提出し、委員会当日に現物を確認して廃棄の適否を判断しています。特に条例施行初年度は、実際にリストを見ると、名称だけでは綴られているものの内容が分からず現物を確認する必要があるものが数千点に及ぶなど、とても委員会当日の現物確認だけでは判断が不可能な状況となり、別に現物確認日を設けたりしたこともありました。そのため、次年度からは、リストにそれぞれのファイルの内容等を付加してもらうなどの対応をしてもらい、何とか当日のみの現物確認で収まっています。ただ、当日は、朝9時から夕方5時頃までかかっていますが。さらに、条例施行までに全12実施機関の文書管理規程(それぞれの文書の移管・廃棄の別が入ったもの)を審議したのですが、条例施行後実際に現物を見ると、それが適切ではなかった(規程では廃棄となっているが、移管が適当)としたものもあり、規程を変えた(廃棄となっていたものを移管に)ものもありました。なお、条例施行初年度の委員会では、諮問があった廃棄予定のもの約7万件のうち2,300件余について廃棄が不適当という答申を出しました。実施機関が初めから移管としたもの(委員会には諮問がされないもの)が約1,200件だったので、それよりはるかに多い数となりました。
  つくば市では、学識経験者、市議及び市民など全10人を構成員とした検討会を設置し、条例ではありませんが、公文書管理法の内容を参考に「公文書管理指針」というものを策定し、また、その翌年度には、歴史公文書の評価選別基準を策定しました。これらの委員として出席した際には、これまであまり話をしたことがない市議や市民の方と活発な議論が出来てすばらしい経験となりました。さらに、その翌年度からは、学識経験者と市民を構成員とした委員会が設置され、毎年度3回程度、移管・廃棄の判断に疑義があるもの、旧市町村文書の移管・廃棄の適否、或いは、公文書の管理方法等について議論をしています。
  高知市で条例を検討した際に、特に議論となったことは、移管された公文書にどこまで利用制限をかけるかでした。事務局案では、国や他の多くの自治体で制限をかけているものに加え、国等の協議等の情報で公開することによりその協力関係を著しく損なうものについても制限をかけるというものでした。しかし、委員から多数の意見が出て、数次の議論の結果、それには制限をかけないこととなりました。その他、条文で最も特徴のあるものとしては、条文に前文を規定するというものでした。委員の意見で入ったその前文は、自由民権運動発祥の地である高知市における公文書管理の基本理念を規定するもので、なかなか他にないものだと思っています。また、高知市の委員会では、現在、今年の4月の条例施行に向けて、全実施機関の文書管理規程を審議しています。市の実施機関は、都道府県のものとまた違った市町村にしかない業務を行う機関も多く、どのような文書を作成するか、それらは移管なのか廃棄なのかなど私も分からないことが多く苦労しています。

おわりに
  今回は、私が行っている館の業務は述べずに、アーキビストになるまでにかかわった業務として国の行政機関のもの、アーキビストになってからかかわっている業務として地方自治体での委員としての活動を紹介しました。その他、アーキビストになってからは、国立大学法人や様々な団体が主催する研修会等の講師などに出向くこともあります。これまで認証アーキビストになった323人の中には様々な経験をされている方がいると思いますが、私は割と異色の業務を経験してきたものと思います。全国の公文書館等の施設で行うアーキビストの業務の他、このような業務もアーキビストの業務に生かされ、また、アーキビストの知識や経験がこのような業務にも生かされることもあるということを紹介しました。