上田市公文書館の業務と共同企画展からみえた課題と展望について

上田市公文書館
倉島 篤史

上田市公文書館・丸子郷土博物館

1 はじめに 
  当館がある長野県上田市は県東部に位置し、一級河川の千曲川が中央部に流れ、山間部には菅平高原や美ヶ原高原といった、自然豊かな観光資源に恵まれている。平成18年に丸子町、真田町、武石村と合併し、人口は現在15万4千人程である。
  当館は山あいの旧丸子町内の東内(ひがしうち)地区の四季の自然豊かな場所に立地し、上田市立丸子郷土博物館に併設して令和元年(2019年)9月1日に開館した。市中央部にある市役所本庁舎までの距離は片道15キロ程あり、車で片道30分程を要する。現在、合併市町村が保管していた旧役場文書や報告書類など、主に明治以降の行政文書を中心に約15,000点(令和3年度末)を所蔵している。
  筆者は入庁7年目の令和3年度に異動で当館に配属となった。以前は管理課(市道管理担当)に2年、市民サービス課(市営住宅担当)に4年在籍した経歴である。公文書館は公文書を保存・活用する機関であるが、それまでは公文書を作成(起案)する側の業務に当たっていた。当館での業務も2年目を迎え、今回はこれまでに印象深かった2つの出来事について述べたい。

本庁舎地下書庫での選別作業

2 「上田市公文書館の業務における課題と展望」
  令和3年度の当市新本庁舎完成を機に、新文書管理システムのもとで新たな事務作業が行われることとなった。「文書のリテンション」事務である。令和4年度には2回目の作業を迎えた。
  「リテンション」という言葉には、「保持、保存」等の意味があり、保存期間満了を迎え、廃棄対象となった文書を選別し、公文書館へ移管するか、廃棄するかを決定する業務である。「うつしかえ」などと呼称する施設もあるようである。
  令和3年度に記念すべき第一回目のリテンション事務を終えたが、そこでいくつかの反省点が見えた。それは、文書ファイル内容の把握、第三者への諮問方法、庁内への周知についての3点である。これらを第二回目の令和4年度リテンション事務で改善したため、紹介したい。
  一つ目は、各課所から提出された廃棄文書リストだけでは文書の中身がわからなかったことである。最初は文書ファイル名から中身を読み取れるだろうとの憶測で、各課所からファイル名のみが記載された廃棄予定文書リストを提出してもらい、選別を試みた。しかし、実際に選別作業に取り掛かるとファイル名のみでは概要等が読み取れず、綴られた文書の具体的な内容が分からなかったため、原課や地下書庫へ出向き、対象の文書を手に取り中身を確認する手間のかかる地道な作業が続くこととなってしまった。そこで令和4年度は廃棄文書リストに概要欄を設け、どのような内容の文書がファイルに綴られているのか、事前に原課に記入してもらうようにした。その結果、中身の把握が出来るようになったことで選別精度が向上した。

本庁舎地下書庫から移管文書の搬出

本庁舎地下書庫から移管文書の搬出

  二つ目は第三者への諮問方法である。職員による選別作業完了後、第三者に確認してもらうため、附属機関の上田市公文書館運営協議会へリスト確認を依頼した。令和3年度は全ての文書にあたる1,255点を確認してもらったが、量が膨大で委員へ大きな負担を掛けることになってしまった。なお、廃棄対象となる文書は、保存期間が1~5年のものが非常に多く、その大部分は反復・継続して定例的に作成されるもので結果的に廃棄決定となったため、令和4年度は原則としてそのようなものを除いた。ただし事務局で移管が必要と考えられるものは残し、委員へ確認してもらうこととした。その結果、対象文書は434点となり委員への負担は相当軽減した。
  三つ目は庁内へのリテンション事業の周知についてである。委員による確認完了後、各課へ移管対象文書を指示したリストを示したが、なかなか当館へ移管しない課があった。催促の連絡をして結果的に移管作業は完了したが、初めての事業で要領を得なかったことも原因の一つと考えられる。令和3年度はそれぞれの課で当館へ文書を運搬し移管するよう周知していたが、令和4年度からは本庁地下書庫の一角に移管文書を提出してもらい、当館で一括して運搬するよう便宜を図った。その結果、全ての対象課からスムーズに移管が完了した。歴史的に重要な文書は公文書館へ移管することを全職員に理解してもらい、まだ2回目が完了したばかりの当事業が今後も円滑に行われるよう、問題点は適時改善できるよう努めていきたい。

3 「上田市公文書館・丸子郷土博物館との共同展示」
  当館は既存の丸子郷土博物館の一角を共用することで開館をしたことは先に述べたが、2階の閲覧室と収蔵庫、1階の収蔵庫は博物館の展示室と収蔵庫を公文書館用に改修したものである。併設のため入口や受付も共通であることから、公文書館職員3名が博物館の業務を兼務しており、博物館来館者の受付、案内業務も行っている。
  公文書館は、企画展の観覧や目録検索システムの使用及び閲覧室の利用等、全てのサービスが無料であるが、博物館は観覧料が有料施設であるため、入館者が混乱しないよう丁寧な対応に努めている。
  このたび、公文書館開館3年目を迎えたことを記念し、「上田市公文書館開館3周年記念、公文書館・郷土博物館共同企画展、所蔵資料でたどる上田・丸子地域の製糸、絹糸紡績の歩み」と題し、郷土博物館との共同企画展を令和4年3月26日から令和4年8月21日まで開催した。
  明治から大正にかけて長野県の蚕糸業は隆盛を極め、上田は「蚕都」として繁栄した。中でも丸子地域は器械製糸業で成功を収め、郷土博物館には当時の様々な資料が展示されている。
  令和3年10月に丸子地域のS社資料館が、新社屋建替のため取り壊されることになり、公文書館と博物館でそれぞれ収蔵品の寄贈を受けたことが契機となった。現在はモーター等が主力の生産品であるS社も、その出発は紡績業であり資料館には往時の歴史的資料が多数展示されていた。

共同企画展

共同企画展


  公文書館では郷土博物館にもともと展示してあった資料に加え、S社から寄贈された資料を活用し、それに公文書館所蔵の公文書や関連資料を更に加え、丸子地域の歴史を改めて振り返るという、地域の特色を生かした展示とした。
  この共同展は予想外に好評で、ここ数年の公文書館の来館者は年間400名強であったが、その半分に当たる200名余が開催期間中の2か月で来館するという成果を得た。
  郷土博物館の地域性とそれに公文書館資料や絹糸紡績資料の寄贈品を加えたことにより、地域住民の関心を呼び起こしたものと思う。この「地域の歴史に根差すもの」を後世に伝えていくことが、私達の使命であると企画及び運営業務を通じて強く感じた。

4 おわりに
  これまでの業務で印象深かった2点について、感想や業務経験を交え述べた。私は、現在公文書の保存や活用の方法について日々考えるという、一般行政職員としては貴重な経験をさせてもらっていると思う。
  公文書への興味の切り口として私が一番良いと感じたのは、国立公文書館で見た「令和」の書の展示である。多くの方が知っている有名な「書」である。しかし、「令和」の書は知っているが、それが公文書で、国立公文書館に展示されており、しかも無料で見ることが出来ることを知る人は少ないかもしれない。私も含めて全国各地の公文書館では、誰もが公文書を閲覧することが出来るということを知る人もまだ少ない気がする。
  公文書館については、身近な媒体へ発信し、公文書館を誰もが使い易く、分かり易くしていくことは日頃から意識して行動していかなければならないと思う。また、資料展示に工夫を凝らすのも「入口」として大切だと思う。
  実のところ、公文書館は私達の普段の生活に必須の行政サービスではないかもしれない。しかし、私達が生きるこの時代の諸制度、いつもの通勤で使うあの駅、よく目にするあの建物、よく使うこの道路の成り立ち、学校でも習った歴史上の出来事、そのほか身近な様々な事柄が地域の公文書に記録されているものを発見したり、馴れ初めが判ったりするからおもしろい。
  私は、書面のままだと分かりづらい文書の内容を柔らかく、時にはユーモアや愛嬌をスパイスに、多くの方に引き続き公文書館の「良さ」を伝えていけるよう意識しながら毎日の業務に邁進していきたい。

(上田市公文書館URL)
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/kobunshokan/1111.html
(上田市公文書館目録検索システムURL)
https://kobunshokan.city.ueda.nagano.jp/