メイキング・オブ・軍用地政策の変遷

(公財)沖縄県文化振興会(公文書館指定管理者)
公文書管理課長 大城 博光[1]

  2022年5月15日、戦後27年間の米国統治下にあった沖縄が日本に返還されて50年を迎えました。この節目の年に、“復帰”をテーマにした放送番組や展示会等が県内外で開催され、その素材として沖縄県公文書館の多くの資料が活用されることになりました。「記録なくして、歴史なし」と言われますが、まさに沖縄県公文書館は、復帰前の沖縄を振り返る上でなくてはならない存在になっていることを実感しています。
  さて、当館においても復帰50周年企画展「軍用地政策の変遷」を開催したので、右図のリンクからご覧いただけるとありがたいです。ここでは、この展示の制作過程において、展示の目的を効果的に達成するために目指したこと、工夫したことについて紹介します。

《1》手段が目的化しないよう展示の目的を明確にする!
  展示の実施計画を作成するにあたり、担当するほとんどの職員がはじめての業務だったので、展示の役割と目的を共有することからスタートしました。
  当館の設置条例では、学術及び文化の振興を設置の目的とし、歴史公文書を収集、整理、保存する業務とこれらの利用を図る業務を、目的を達成する手段とし、さらに利用を図る業務として閲覧と展示を位置付けています(図1)。したがって当館における展示は、歴史公文書の利用を図る直接的な手段としての役割を担っています。[2・3]

図1 沖縄県公文書館の設置に関する条例における展示の位置づけ

図1 沖縄県公文書館の設置に関する条例における展示の位置づけ

  また、学術及び文化の振興は究極的な目的で、これを達成するための手段(業務)には、それぞれの役割に応じた目的があります。そこで、展示の目的とその達成状況を把握するための視点と指標を次のように設定し、これを意識して取り組むことにしました。

        ▷展示の目的:歴史公文書をとおして沖縄の歴史を知ってもらう [4]
        ・評価視点1:どれだけ多くの人に知ってもらえたか ⇒ 指標:1日当たりの展示観覧者数 [5]
        ・評価視点2:どれだけ理解を深めることができたか ⇒ 指標:アンケートによる理解者の割合

《2》社会が過去をふり返るこの時期こそ展示を2次利用の見本市に!
  前述した展示の目的「・・・沖縄の歴史を知ってもらう」は、閲覧にも共通する目的ですが、沖縄の歴史に関心がある人でも、特定の歴史公文書を申請して閲覧する人は限られます。その点、様々なテーマで歴史公文書が選ばれ、説明が加わる展示は、利用者層を広げる取組みと言えます。さらに、“知ってもらう”の対象を、直接の利用者に限らず、歴史公文書がもたらす“受益者”という視点で考えると、歴史公文書が2次利用された放送番組や出版物等は、受益者の数を各段に広げます。(図2)[6] 

図2 歴史公文書の2次利用による受益者効果

図2 歴史公文書の2次利用による受益者効果

  このように考えると、復帰50年を迎えるこの時期は、復帰に関する2次利用の需要が増える絶好の機会と言えます。そこで、今回の展示を2次利用につながる“見本市” [7]としての側面を持ち合わせるよう、会期を復帰の日の前に設定し、マスコミや研究機関等への広報強化と説明会等を実施することにしました。ただし残念なことに、2次利用による受益者の数は、閲覧や展示の利用者のように数を把握することが難しく、指標化するには至りませんでした。

《3》原本展示で歴史公文書の存在感を放つ!
  受益者という新たな視点を用いたことで「そもそも論」が浮上しました。「受益者は館内展示よりもネット展示のほうが多いのでは」という意見です。たしかに評価視点1(人数)についてはそうかもしれません。しかし、公の施設の機能として備わっている展示室を使わない選択はないので、展示室に足を運んでいただいた方に対しての優位性を創り出すことを目指しました。うまく言えませんが、ネット展示よりも館内展示は、「歴史公文書に囲まれることで歴史的な事象を実感として理解できる」という評価視点2(理解)の側面における優位性です。さらに当方の都合で言えば、「公文書館にはかけがえのない歴史公文書が永久に保存されている」、このことの重要性は、説明するよりも館内展示で実物を見てもらうことで説得力が増す、という啓発効果も期待できます。この優位性を高めるために、展示物は複製でなく原本にこだわることにしました。

《4》原本とデジタルアーカイブの連動でいいとこ取り!
  とは言え、原本展示で優位性を創り出せたとしても、歴史公文書は本来、文化財や美術品のように「見る(観覧)」ものではなく、「読む(閲覧)」ものなので、ガラスケースの中では本来のポテンシャルを発揮できません。この難題を解決するため、展示する歴史公文書(原本)は全てデジタルアーカイブと連動させ、その場で全文が読める環境を整備することにしました。今後さらにデジタルアーカイブが充実していくと、展示室だけが原本を見られる場所になるかもしれません。
また、来館が困難な方が展示を疑似体験できるよう、室内3D画像とデジタルアーカイブを連動させたVR展を試験的に導入することにしました。[8]

《5》「わかりやすく」と「詳しく」を両立させる内容に!
  次は、各セクションのリード文やキャプションの書き方です。目的達成度を高める(より多くの人に、より理解を深める)には、年齢や関心度に限らず、誰にでもわかりやすい内容が求められます。一方、歴史公文書の特性を活かし、歴史的事象の結果だけでなく、その背景、経緯、理由等を含めて伝えようと説明を詰め込むと、誰にでもわかりやすい内容から遠ざかってしまいます。このジレンマを解消するために、本編と別に「深堀セクション」を設け、より詳しく説明したいトピックは深堀セクションで掘り下げることにしました。 

《6》歴史公文書を問題の原因を知る手掛かりに!
  展示の方法について固まってきたので内容の検討にはいりました。今回は復帰50周年記念なので、「今後の沖縄を考えるための振り返り」を前提にすることから、通史的に広く振り返るのではなく、未解決の問題をテーマにすることにしました。これには2つの理由があり、1つは、問題は今後のありたい姿と現状とのズレから生じるものなので、問題意識を持つことが今後を考えることにつながるからです。もう一つは、問題を解決するためには原因を知ることで、原因を知るには歴史公文書が手掛かりになることを示したかったからです。そこで、戦後の沖縄をめぐる未解決の問題は様々ありますが、関連する記録が豊富な軍用地政策に関する問題を取り上げることにしました。

《7》歴史公文書で当時のイメージを鮮明に描き直す!
  当館の琉球政府文書の中には軍用地に関する文書が約2万簿冊あり、そのほとんどが地主との契約に関連する文書です。当時の収用制度は何度も変わり、その制度とともに契約手続も変わるのですが、文書が制度毎に区別されず入り混じる状態だったので、体系的に再整理してから資料選定に入ることにしました。その作業中、契約交渉の復命書を整理する職員から、「思っていたのと少し違う」という声がありました。それは、米軍が武力で強制収用した様子を「銃剣とブルドーザ」と言われますが、その実行に至る過程では、地主と琉球政府職員との地道な面接交渉が行われていたことに驚いたようです。この多数ある復命書には、契約に応じない理由をはじめ、地主との具体的なやりとりが記録されており、単独では歴史公文書としてインパクトが弱くても、歴史的事象と重ねて整理することでその過程を鮮明にすることができます。これも行政の活動記録ならではの魅力として伝えたかったので、深堀セクションの1トピックとして採用しました。

図3 沖縄における軍用地取得の変遷概念図

図3 沖縄における軍用地取得の変遷概念図

《8》基地のない島から基地の島へ 沖縄の変貌を紐解く
  最後に、展示テーマを「基地のない島から基地の島へ 沖縄の変貌を紐解く」とした意図について説明します。
  今から約80年余前、「基地のない島」だった沖縄は、太平洋戦争突入時に旧日本軍によって「本土防衛の防波堤」として、太平洋戦争末期には米軍によって「日本侵攻の拠点」として、そして日本降伏後は「太平洋の要石」として、次々と軍事基地が建設され、現在の「基地の島」に変貌しました。
  その過程で、基地の設置者は何を根拠に、どのような手段で軍用地を取得していったのか、歴史公文書をとおして紐解いていくことで、今後もこの問題と向き合っていくための参考になればと思いこのテーマを選びました。

展示を終えて
  今回の展示は、準備にかけられる時間や別業務との兼ね合いもあって琉球政府文書に限った構成にしたことから、基地を必要とした側(米国や日本政府)の考えを含んだ内容には至りませんでした。やはり、戦後初期の沖縄を伝えるには琉球政府文書だけでは限界が多いことを再認識した次第です。その一方で、会期が終了した2022年4月から、当財団が受託運営する琉球政府文書のアーカイブサイト「琉球政府の時代」を拡充し、琉球列島米国民政府や日本政府の文書も対象として集積するプロジェクトがスタートしました。沖縄が日本でなかった27年間をより多面的に未来へ届ける環境が整いつつあります。

(注記)——————————————————————-
[1](公財)沖縄県文化振興会は沖縄県公文書館を管理運営する指定管理者です。また、筆者は課長職とデジタルアーカイブチームのリーダーを兼務しており、ここで紹介する展示は同チームが担当したものです。
[2]公文書管理法では、利用は閲覧と写しの交付で、展示は利用を促進する手段としており、展示そのものを利用手段としている当館の設置条例とは、展示の役割が異なります。
[3]近年では、利用を図る3つ目の手段としてデジタルアーカイブに取り組んでいます。
[4]ここでの歴史公文書とは、公文書館が収集し保存している資料に限ります。借りてきた資料の展示では、「学術及び文化の振興に寄与」しても、「これらの利用を図る」という手段に則っていないからです。
[5]展示を歴史公文書の利用を図る手段としている当館では、展示観覧者は歴史公文書の利用者として位置付けています。
[6]公文書館が独自で全ての利用者層に最適な展示を行うには限界がありますが、2次利用は情報発信源が増えるだけでなく、2次利用者が対象とする層に対し最適な情報(例えば教員が学校種や学年に応じた教材)に編集して提供することになるので受益者層は限りなく広がります。
[7]“見本市”としたのは、歴史公文書という素材の特性を知っている公文書館が、素材の活用を考えている方向けにその活用事例をアピールする場に、という意味を込めています。
[8]結果、展示記録としては写真より有効ですが、疑似体験というには撮影方法や操作性等で改善点が多いものになってしまいました。ご覧になる方は反面教師として参考にしてください。