今、公文書の管理に何が求められるのか

国立公文書館
公文書アドバイザー 齋藤 敦

*本稿は筆者が令和3年度の公文書管理研修Ⅰで行った「公文書管理の重要性」に関する講義のあらましを文字に起こしたものである。

皆さん、ようこそ国立公文書館の研修へ
  本日の研修の冒頭、私から研修の導入として、公文書管理を巡る最近の国際的な潮流と日本のこれまでの歴史的経緯について、簡単にお話したい。これは、私達が今直面する課題について、横軸(国際的位置付け)と縦軸(時間軸)から、私達の置かれた立ち位置を確認する趣旨である。

1 公文書を巡る課題~文書管理から記録管理へ
  かつて「文書管理」は、文書整理やファイリングシステムのことであった。私が公務員新人時代であった1980年代には、毎年、各省統一の文書管理改善週間というものが行われていた。そこで何をやっていたかというと、執務室に積み上がった不要文書の整理、つまり廃棄をしていた。官房に何㎏廃棄したかを報告していたので、たぶん各省ごとに集計されていたのではないか。これがこの時代の文書管理だった。
  当時から一部の先進的な省ではファイリングシステムが導入されていた。ファイリングシステムは、保管スペースを節約し、検索を容易にし、組織で情報を共有化して文書の私物化を防ぎ、結果オフィス環境の改善に資するという優れたものだが、今日私達に求められるのは、このレベルに留まるものではない。
  今日、焦点は、有体物としての文書の管理から、「法的な義務の履行又は業務処理における証拠及び情報として作成、受領及び維持される情報」としての記録の管理に移ってきている。一言で言えば、「文書管理」から「記録管理」へという流れが国際的な潮流である。なぜここで「文書」に代えて「記録」という概念を持ち出すかといえば、組織として共有された記録は、本来容易に書き換えることができないものとの認識があることによる。
  記録管理の国際標準化が進められ、2001年にはISO15489が制定されるに至った。ここで初めて説明責任という概念が明文化される。ISOとされることからわかるように、この標準は行政機関だけに求められるものではなく、民間も含めて求められる基準である。民間企業が訴訟に巻き込まれた場合にも、その時の記録が残っていなければ裁判で負けてしまう。

2 公文書管理は何のために
  公文書管理は何のためにやるのか。記録管理という観点からもう一度原点に返って整理してみたい。

(1)知識管理(ナレッジマネジメント)
  第1は、知識管理、ナレッジマネジメントという点である。公文書管理は、まず公文書を作成する組織のために、文書を作成する係、係員本人のために行われる。これが出発点にある。業務の適正かつ効率的な遂行とその記録管理は表裏一体のものである。公文書管理法の第1条目的規定においても、行政の適正かつ効率的な運営が明確に規定され、しかもそれは次に述べる説明責任より先に規定されている。
  よく「知は力なり」というが、その組織が持っている知識、ノウハウを明文化して、今風に言えば「見える化」して、組織で共有していくことが、その組織の業務の改善や革新に繋がっていくという発想である。経営学の視点から、ナレッジマネジメントのSECIモデルとしてこれを提唱しているのが一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生で、SがSocialization(共同化)、EがExternalization(表出化)、CがCombination(連結化)、IがInternalization(内面化)ということで、組織の有する知識、ノウハウを共同化し、表出し(見える化し)、それを組み合わせて、さらに内面化していくというプロセスを通じて経営革新は実現できるという説である。
  よく言われるように、地方創生でも経営革新でも、「ないもの探し」ではなく、大事なのは「あるもの探し」。つまり、自分たちには○○がないと嘆くよりも、まず自分たちの持っているものを確認して、そこから出発しようという発想が重要である。エピソード的な話として、日光の某老舗ホテルが「百年ライスカレー」というのを売り出したことがある。もう十年以上前のことだと思うが、そのホテルの蔵から大正時代のカレーのレシピが発見されて、それを現代に再現しようとして生まれたものだという。その組織が本来持っているものをもう一度掘り起こして、自分たちの力でそれを活用して自らを変えていくという発想である。
  これは記録作成目的に沿った本来の価値といえるもので、一次的価値ともいえる。それを業務価値、法務価値、あるいは財務価値というように分類することも可能だが、それはアカデミアの議論に委ねたい。

(2)説明責任(アカウンタビリティ)
  第2が、説明責任、アカウンタビリティである。これは皆さん耳にタコができるほど言われていていささか食傷気味だと思うが、英語のアカウンタビリティは、何も不祥事が起きた時にのみ求められるものではない。英語のアカウンタビリティには、自ら結果について責任を果たしたことを対外的に明らかにするというニュアンスがあり、記録は証拠的価値を有するものとなる。つまり、自分が業務をきちんと遂行したことを記録に残さなければダメだということ。これが記録の有する重要な価値となる。
  公文書管理法の目的規定は、現在及び将来の国民に対する説明責任として規定している。「現在」はまだしも、いきなり「将来の国民」と言われても・・・と感じる方もいると思う。記録は先ずは組織内の必要のために作成される。最初から社会のために作成されるわけではない。しかし、その記録が国民共有の知的財産として残され、利用されることによって社会の文化的遺産としての歴史的価値を有する記録となっていく。それを保存する公文書館は社会のアイデンティテイを遺産として残し、将来の羅針盤として機能する記憶の装置となる。
  例えば、イギリス国立公文書館には大勢の一般市民が訪問して、自分や自分の父母、祖父母、曾祖父母が50年前、100年前にどこで何をやっていたのかを調べている。国勢調査の個別識別情報がデータベース化されこれを閲覧できるので、それを調べることによってわかるのだという。皆さんも国勢調査の調査票に記入されたことがあると思うが、あの個別識別情報というのは別にファミリーヒストリーを調べるためにつくっているのではなく、調査票記載情報が正しいかどうかを行政側が確認することができるようにするために連絡先などが記載されているのだが、その記録が英国では50年、100年と継続的に保存されている。これは、記録の本来の利用目的からは外れているのだが、その情報が長年にわたって継続的に蓄積されることによって別の価値が生まれている。記録作成目的以外の利用価値、二次的な価値が情報的価値として発生することがあり、それが国民の共有財産として残されることによって、いわば歴史的な記録として社会の文化的遺産となっていくというプロセスがある。ちなみに日本では、国勢調査の調査票は統計法に従って厳格に管理され、集計が終わって一定年限保存された後、完全に廃棄されている。

(3)危機管理(リスクマネジメント)
  第3が、危機管理(リスクマネジメント)である。行政であれ、民間であれ組織体は常に様々なリスクに晒されている。法的リスク、訴訟のリスクは日本でもたいへん高まってきた。平成8年(1996)に民事訴訟法が改正され、文書提出命令は強化され、訴訟対策としても文書管理は重要になっている。情報漏洩リスクは、もとより存在し、残される記録の量が増えれば漏洩のリスクも当然高まる。あるいは災害により棄損されるリスクもある。災害に備えてバックアップを整備する必要もある。最近、水害が多発しているが、水害で被害を受けた公文書の修復作業などに対して、私共国立公文書館もお手伝いできる体制を整えつつある。

3 国際標準の求める記録管理
  それでは、国際標準が求める記録管理とは、どのようなものか。ISOの定義としては「記録の作成、受領、維持、利用、処分の効率的で体系的な統制に責任をもつ管理の領域」であって、「記録の形式で業務活動及び処理についての証拠及び情報を捕捉し、維持する一連の作業を含む」ものとされている。義務の履行や業務の適正な処理の証拠としての価値を有することが基本にある。良い記録の条件は何かといえば、真正性(Authenticity)~本物であること、信頼性(Reliability)~業務活動を正確に表したものであること、完全性(Integrity)~記録完成後に変更されていないこと、もし追加や修正が施されているときにはその過程が追跡可能であること、利用性(Usability)~検索可能な情報として記録が利用可能であることがある。いずれも当たり前のことであるが、当たり前のことを当たり前に行っていくのが重要である。
  先程から述べているように、公文書の管理は業務遂行と表裏一体のものであり、管理の責任はどこにあるかと考えると、業務に携わるすべての者が業務記録の管理にも責任を負っていると考えざるを得ない。管理体制の明確化とハイレベルのコミットメントが求められる所以である。組織体として業務を的確に遂行するために教育や研修は必須であるように、文書記録の管理についても、その一環として教育研修が求められて、今日のような研修が実施されるようになった。業務監査が行われるのと同様、公文書管理についても監査という概念が導入された。
  今、公文書の電子化が急速に進行していることに伴い、新たな課題も発生している。アクセスと検索をどう確保するか。あるいは完全性をどう担保するのか。完成後に追加修正が行われたときには追加修正の過程が追跡可能でなければならない。ここに、暗号資産に用いられているブロックチェーンの技術を応用しようという研究も始まっている。長期保存に耐えうる電子記録のデファクトスタンダードは、現在のところPDF/A(Aはアーカイブズ)によることとされている。今後の課題として、電子メールの扱いが問題となる。アメリカ政府では電子メールは自動的に公文書として管理するシステムが導入されている。日本では2019年8月に内閣府大臣官房公文書管理課からマニュアルが出されている。

4 近代日本の記録管理の歴史的回顧
  終わりに、近代日本の記録管理の歴史的回顧について簡単に述べる。明治新政府が新しい法令通達を発出していく過程において、記録の重要性に対する認識は存在した。明治4年(1871)に太政官正院に記録局、各省に記録課が設置され、記録局・記録課体制により記録を管理しようとした。太政官の体制は種々の変遷を経るが、明治18年(1885)に、太政官制から内閣制への移行に際し、内閣記録局が設置されて引き継がれていく。その後、明治26年(1893)には内閣書記官室記録課へと課に格下げになるという憂き目に遭うのだが、明治の出発点において記録の重要性は認識されていた。日本の近代化に尽力された人々は、この点に一応目が行き届いていたと考えられる。しかし、少し不十分な点もあった。それは決裁文書中心主義ということである。公文書とは何かというときに、長い間、決裁文書であると考えられてきた。
  決裁文書を残すということは、明治以来連綿と継続されてきたが、決裁の根拠となる様々な事実に関する資料や、あるいは決裁に至る意思決定の形成過程に関する記録については、必ずしも目が行き届かずに、決裁文書の管理と分離していくというプロセスがあった。分離されてしまうと、管理が二重化されて、その資料の管理や意思決定の形成過程の記録の管理に属人的な管理が発生した。有名な例に、日本国憲法制定過程文書がある。当時の法制局官僚がGHQと交渉した過程の記録が私的に管理されて自宅に持ち帰られてしまうことが発生した。これらの文書は、後に国立国会図書館憲政資料室に寄贈されて、ようやく公的に管理され研究者などが利用可能となった。
  ところで、皆さんは公文書とは何かという定義については「組織共用文書」という概念によっていると思うが、この概念はいつ成立したのか。これは平成11年(1999)の行政情報公開法が初出である。当時、地方自治体の情報公開条例の制定が先行して、国の立法化を後押ししたことはご案内の通りだが、東京や大阪でも開示対象文書は決裁文書のみであった。この時、初めて法的に公文書とは何かについての新しい定義がなされたのであるから、その2年後の行政情報公開法の施行の段階で、様々な混乱が生じたのは無理もないものと感じる。
  公文書は、原局原課で作成され、それが整理され、保存されて、組織内で利用され、最終的に保存年限が来た段階で、廃棄又は国立公文書館に移管されるというプロセスを経る。この公文書のライフサイクルに即した管理を行わないと十全には機能しない。それを明文化したのが、行政情報公開法の10年後につくられた公文書管理法である。公文書管理法では、記録の処分計画(レコードスケジュール)を事前に策定するアメリカの制度を参考に日本版レコードスケジュールという概念を導入して、作成された公文書を歴史的記録として残して公文書館に移管するか、それとも廃棄するかを作成後できる限り早い時期に判断することとされた。できる限り早い時期にというのは、文書を作成したその状況を最も熟知していると思われる文書作成者がその文書の行く末の判断に関与できるようにという発想である。
  ここで重要な点を付け加えなければならないのは、作成された文書を歴史的記録として後世に残すか否かというのは非常に重大で難しい判断であるという点である。一度失われた文書は二度と蘇らせることはできない。そこで、公文書館に移管して歴史的記録として国民共有の知的財産として残すか否かの判断につき、文書作成機関が一次的に判断することを原則としつつ、それに加えて第三者の目を入れるということが諸外国で行われている。なぜなら、先に述べたように、作成された記録には記録作成目的本来の一次的価値とは別の二次的価値としての情報的価値が発生する場合もあるためである。第三者の目を入れることによって、より慎重な判断を行おうとしているのである。そのために第三者の目として諸外国で導入されているのが、文書管理の専門家、アーキビストといわれる専門職である。文書作成当事者の判断とそれに加えて第三者の専門家の目を入れて、その文書の最終的な行く末を決めていく。
  例えば、今、皆さんの組織ではあらゆる業務について、コロナ禍でたいへんな思いをしながら、対応されているはず。そういうことは、100年後に残していかなければいけない。実は、100年前にも日本はパンデミックに見舞われている。有名なスペイン風邪の世界的な大流行があった。そこで、大正9年(1920)1月14日に内務次官通達として「流行性感冒の予防に関する件」が発出されていることがわかる。これは国立公文書館の所蔵資料で確認できる。内容は、マスクとうがいを徹底しろと言っているのだが、ウィルスの正体が分かっていなかった当時の衛生知識のレベルではこれは重要な予防策であった。この後、毎年の冬のインフルエンザ流行期などにマスクを着用することが、日本社会で定着したといわれる。一方で今日のソーシャルディスタンスに関する外出規制などは、日本では行われなかったことがわかる。
  こういう記録は、やはり後世に残すべきものだと考える。そういう判断が是非必要である。このためにも、私共国立公文書館は、アーキビスト専門職の養成に取り組んでいる。令和3年(2021)には、190名のアーキビストを認証した。
  私共の願いは、各府省の現場の皆さんと連携して日本の公文書管理の質を向上させて、国際標準に照らして遜色のないものにしていくことである。令和3年は国立公文書館開館50周年に当たる。「記録を守る、未来に活かす。」という標語の下に組織一丸となって取り組んでいくという私共の決意を改めて表明して、私の講義を終えたい。