「国立公文書館所蔵資料展 徳川家康と房総」の開催を振り返って

千葉県文書館
豊川 公裕

はじめに
 いきなり私事で恐縮だが、平成31年(2019)4月に千葉県文書館(以下、当館)に異動となった。と言っても出戻りであり、勝手知ったる施設である。さて、どのような企画展を開催しようかなどと思いを巡らせながら事務引継ぎに臨むと、平成31年度(令和元年度)は国立公文書館所蔵資料展も開催することになっていることを知った。当館の展示室は100㎡程度だが、それでも当館の収蔵資料中心で「徳川家康」の企画展を展開するのは困難であり、国立公文書館から資料の提供を受けられるからこそ可能となる。しかしながら、2月前後に予定されていた国立公文書館と当館との最初の打合せが中止となったことで、この時点でそれ以上の情報は得られなかった。恥ずかしながら、知った当初は公募時にパッケージとして提示された国立公文書館の所蔵資料のみを展示し、当館は貸し会場程度の役割だろうと軽く考えていたが、それが甘い考えであったことはすぐに実感することになる。

1 応募と選定
 後でわかったことだが、当館が「国立公文書館所蔵資料展開催会場の公募等について」に応募したのは、平成30年度が初めてではない。平成28年度と29年度(展示開催はそれぞれ翌年度)の公募の際も応募しているが、いずれも選に漏れている。当時の資料を読み返してみると、平成28年度と29年度ともに、国立公文書館が提示した四つの選択肢(「公文書の世界」「公文書にみる日本のあゆみ」「徳川家康-将軍家蔵書から見るその生涯-」「その他」)の中から「家康」を希望している(「家康」が選択肢に含まれるようになったのは平成28年度公募時から)。その後、当館の展示環境や条件が変わったわけではないが、連続応募の甲斐もあってか平成30年度の公募では当館を選んでいただいた。そして、国立公文書館にとっても館外展示で内閣文庫の資料を扱う初めての機会となったわけである。

2 展示資料の確定まで
 年度スタート間もなく、打合せ日の確認連絡があった。調整の結果5月16日と決まり、当日には国立公文書館から担当者3名が来館され、次のようなことが決められた。すなわち、展示構成は国立公文書館所蔵資料を中心とするが、当館からも展示できる資料を出陳する。展示期間は令和2年2月5日~3月10日とする。ポスター・リーフレット(ちらし)は国立公文書館で作成・配布する(国立公文書館の配布対象外は当館で対応する)。当館では屋外と展示室内に案内看板を設置しているが、これは当館が対応する、などである(展示室で無償配布する解説小冊子の作成については、のちに当館が予算をやりくりして作成することとなった)。資料の搬入・搬出やパネルの作成など、準備作業や費用のほとんどは国立公文書館で対応していただけるものの、予定外の支出は当然会場館側の負担となる。当館では開催に伴う予算措置がまったくなされていなかったため(これは来年度予算計上後の公募のため、仕方がないとも言える)、企画展の予算を工夫しながらの対応となった。以後の打合せはメールで行われることになり、6月に当館収蔵の家康関係資料を情報提供したところ、その2週間後には国立公文書館から、「いくさ人家康」「秀吉と家康」「家康の関東入部と領国経営」「家康の鷹狩りと東金御成御殿」「家康を支えた家臣-徳川四天王・本多忠勝」「家康の死と神格化」「家康のアーカイブズ」の7章立ての構成案が示された。当館の展示ケースの面積を考慮しながらの検討の結果、7月には展示概要が固まり、当館からは家康の朱印状や肖像画、家康の関東入部時の検地帳(天正検地帳)などを展示することになった。中でも、家康の肖像画は船橋大神宮(船橋市所在)の大宮司を務めた家が伝承してきたもので2幅あり、今回初めて展示することができた。国立公文書館でも家康の鷹狩りなど房総に関連した資料をできるだけ展示するように御配慮いただいた。家康の一生を軸としつつも、房総とのかかわりを示す資料も全体の半数を占め、地域性もよく出たように思われる。展示資料は37点で、そのうち当館収蔵資料が7点、他機関収蔵資料が3点であり、他機関収蔵資料はいずれも画像提供によるパネル展示とし、その窓口は当館が担当することとなった。

3 印刷物・パネル等の作成
 当館展示室は壁面ケース4か所と3面の壁で構成されており、文書展示はどうしても平面的な展示になるため、壁面をどのように埋めるのかが毎回悩みの種である。国立公文書館側でいろいろと御検討いただき、特大の家康関係年表や家康の家族関係図などのほか、天保国絵図の房総三国分をパネル化して展示してもらえたことはありがたかった。章解説等は国立公文書館が受け持ち、資料解説は各々で所蔵(収蔵)資料を担当した。ポスターとリーフレットの表面及び解説小冊子の表紙は共通デザインとし、主として国立公文書館から提示された案に当館が校正する形で作成を進め、11月にはポスター・リーフレットが校了。12月に解説小冊子、1月にパネル・キャプションも校了した。パネルやキャプションの文章は解説小冊子とできるだけ共通のものとし、省力化を図った。なお、展示資料は古文書であることから、必要な釈文(くずし字を活字化したもの)も作成して掲示することとし、キャプションともどもその様式は会場館である当館がその雛形を提供した。

4 広報と展示解説会
 千葉県では、報道広報課を経由して在葉マスコミ各社に向けての広報資料を作成している。内容は、展示概要と構成、主な資料を例示したもので、この配布により広報解禁となる。解禁日は1月8日とし、HP掲載やポスター等の配布もこの解禁日に合わせた。国立公文書館にも解禁日を遵守していただいた。マスコミでは、地元紙の『千葉日報』に大きく写真入りの記事にしてもらえた。このほか、当館独自に県内の折込紙や宅配情報誌等への案内と当館ツイッターによる情報発信も行った。展示解説会は、2月19日と21日に開催する当館の県史講座に続けて実施することとし、同会場(当館6階多目的ホール)でパワーポイントを使っての展示解説を行った後、質疑応答は展示室に移動して行う形とした。これについては、2日間とも国立公文書館側の担当者である長坂良宏公文書専門官に御足労いただいた。30分にわたる展示解説後の展示室での質疑応答では、私も加わって入場者の対応に当たったが、参加者は19日が89名、21日が73名を数えて盛況であった。

展示解説会質疑応答風景

展示解説会質疑応答風景
~展示解説会を含めると1時間以上に及んだ~

展示解説会質疑応答風景

展示解説会質疑応答風景
~二手に分かれて各担当で対応しているところ~


おわりに
 展示期間中の入場者数は、20日間で1,495名(1日当たり75名)であり、日祝日に開館しない当館の1日当たりの入場者数としては、これまでの最高記録である。やはり「国立公文書館所蔵」「徳川家康」の名前で人は来るものだと痛感した。しかし、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月3日以降は臨時休館となり、展示も急遽終了となったことは誠に残念なことであった。会期は10日までの予定であったため、臨時休館に入る前後は展示に関する問合せが相次いだが、それだけ反響が大きかったということであろう。国立公文書館所蔵資料展は国立公文書館主導で準備が進められるが、会場館側も一方の当事者である。打合せはメールが主体であったが、こまめにやり取りして意思疎通を図る必要がある。国立公文書館の主担当である長坂氏には、当館(というより私)の無理難題にも広い心で対応していただいた。このほか、鈴木隆春公文書専門官、塚田沙也加公文書専門員にも展示作業等で大変お世話になった。今後も国立公文書館所蔵資料展が全国くまなく開催され、国の所蔵資料が地方の方々により身近に感じられるようになれればよいと切に願っている。