令和元年度アーカイブズ研修Ⅱ D班グループ討論
~利用審査における公益と侵害される利益の比較衡量について~

福島県大熊町教育総務課
喜浦 遊

1.はじめに
 本稿は、令和2年1月に国立公文書館において実施されたアーカイブズ研修ⅡD班の討議内容である。班の構成は以下のとおり。
 和田恭典(福井県文書館)・島谷容子(鳥取県立公文書館)・麻生清香(沖縄県公文書館)・波田尚大(武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館)・池川滋彌(高知県総務部文書情報課)・喜浦 遊(福島県大熊町教育総務課)

討論の様子

討論の様子

 構成員は地方自治体における公文書や歴史公文書等の運用に関する職務を担う点で共通しているが、主として歴史公文書等を扱う館の職員、古文書等も扱う館の職員、今後公文書館を設置しようとする団体の職員等、実務の状況は異なる。
 テーマを設定するに当たって課題を共有したところ、同和地区をめぐる利用審査に関わる内容が複数挙げられた。特定の個人が識別される情報、中でも門地に関しては「個人の特に重大な秘密であり、個人の権利利益を不当に害するおそれがある」ため、長期間にわたり利用が制限されることが多い。のみならず、特定の個人に結び付かない情報であっても、一定の土地にまつわる情報をその歴史的・社会的背景から開示しないという判断はありうるのではないかというのが担当者としての問いであった。
 同和地区に限らず、特段の配慮が必要な地域や場所、施設等はどの自治体にもありうる。その情報の扱いは私たちの共通の課題と認識し「利用審査における公益と侵害される利益の比較衡量について」をテーマに検討を進めることとした。

2.議論の前提
 テーマ選定のきっかけになった福井県と鳥取県の事例を紹介する。
 福井県文書館では現在、同和地区に係る歴史公文書等の利用申請が相次いでいる。同館が定める要綱では、当該個人及びその遺族の権利利益を不当に害するおそれのある門地に関する情報は「本人の死後80年以上」は一般の利用を制限する規定が設けられているが、同和地区に関する情報の利用を一律に制限する明確な規定はない。同館では、原課の意見を参照するなどし、地区が特定される情報は制限しているが、一般には判別しにくくとも地域住民には特定可能な情報をどこまで制限すべきか判断に迷ったという。
 鳥取県立公文書館では、同和事業に係る補助金関係文書の閲覧について相談があった。該当文書には特定の個人を識別できる情報は含まれていないが、所管課に相談した上で、同和対策事業の性格に鑑みて一部利用制限が必要と結論づけた。利用審査基準のみでは判断が難しい事例として運用の難しさを感じるとともに、個人の権利利益を侵害する情報の範囲について考えるきっかけとなった。
 さらに、配慮が必要な土地の例として、武蔵野市ではかつての「死馬捨場」について「場所が特定される情報は明らかにする必要がない」としたことが報告されたほか、火葬場、処刑場、廃棄物処理場、原子力関連施設、過去の被災地域等が例に挙がった。公開により人権侵害や不動産価値の下落などのおそれがある一方、地域の歴史をひもとく上で重要と考えられる情報であり、利用制限をかけるにはその根拠も十分に検討されるべきである。そこで私たちは、事例を「個人の権利利益が重視されるケース」と「公益性が高いケース」に分類し、検討を進めることとした。

3.ケース検討
(1)個人の権利利益が重視されるケース
まず、同和地区に関わる資料の一部を非開示としたことを妥当と判断した情報公開制度における以下の事例を参考にした。
 (ア) 最高裁判所第二小法廷平成26年12月5日判決
 (イ) 福岡県情報公開審査会平成19年2月22日答申第120号

検討の様子

検討の様子

 非開示を妥当とした理由について、(ア)は「差別意識を増幅し、差別行為を助長するおそれがある」、(イ)は「新たな差別を引き起こすおそれを否定できない」とし、地区に関わる情報の開示が差別行為に結び付く可能性を指摘した点で共通している。さらに(イ)は、当該情報を「個人の権利利益を害する情報」とみなしている。
 この考え方を国立公文書館の審査基準に照らすと、2.利用制限情報該当性の判断基準のうち(1)①オ「厳密には特定の個人を識別することができる情報でない場合であっても(中略)当該集団に属する個々人に不利益を及ぼすおそれがある場合(後略)」に該当するといえる。
 また、本研修の講義で中央大学・石井夏生利教授は「特定の個人を識別することはできないが、公にすることにより、なお個人の権利利益を害するおそれがある情報」を「利益侵害情報」とし、保護すべき「個人に関する情報」であると説明した。まさに、同和地区の特定につながる情報は、明確に個人識別情報と規定できないにしても、個人の利益を害するおそれがあるとして利用の可否を判断すべきものといえる。
(2)公益性が重視されるケース
 一方で、土地に由来する情報を提供する上で、個人の利益侵害に対し公益性が上回る例もあると考えられる。過去の被災地域などは、地価の下落などを引き起こすおそれはあるが、住人の命、健康、生活基盤、財産を守る上で公開する公益性は高い。
 また、個人情報に関する内容だが、本研修の石井教授の講義で、旧優生保護法下での強制不妊手術に関する公文書について、社会的関心の高まりを背景に保護されるべきプライバシーの範囲を狭め、開示する公益性を重視した答申例が紹介された。また、大阪大学・菅真城教授の講義では、ハンセン病関係資料の利用を制限するのではなく公開することにより、病への社会の認識を深め、差別の撤廃に寄与するというアプローチが提示された。
 筆者は東日本大震災後の福島県で、行政等が原子力災害による土地への忌避感に配慮して情報を抑え、隠蔽と受け止められるなどして逆に風評被害や偏見を助長する例に接しており、「公開して差別の撤廃に寄与する」という考え方は今後の参考になると感じた。

発表の様子

発表の様子

4.まとめ
 利用審査に当たっては、各館で審査基準を設け、常に充実を図ることが前提だ。ただし、扱う情報がセンシティブであるほど一律の基準での判断は危険ともいえ、事例ごとに資料作成の背景や地域の特性を踏まえた検討が求められる。その際、過去の利用審査事例と原課への照会は判断の拠り所となりうる。審査事例は自他の館の例はもちろん、情報公開制度による現用文書の公開可否の判断も参考になる。原課への照会は実務担当者でないと知りえない情報等を知る上で有益だが、原課は公開を避ける傾向にあることに留意したい。
 今回、討論のきっかけになった同和地区に関する情報について、私たちは利用制限を妥当とした。ただ、議論の過程では、研究の阻害、子孫等関係者の知る権利の阻害など制限するデメリットも指摘された。
 歴史を検証する機会を提供し社会に役立てることは、歴史公文書等の最も重要な役割といえる。しかし、地方自治体では行政の判断が住民に与える影響もより直接的になり、地域性や住民性を踏まえて丁寧に審査を積み重ねる必要がある。その上で、現時点で制限が妥当な情報に対しても、常に公開の可能性を意識し、時の経過や社会情勢の変化に敏感でいることが肝要だ。歴史公文書等を預かる者には、事例の蓄積、情報収集等で知識や経験値の向上を図るとともに、社会情勢に高くアンテナを張る姿勢が求められる。