国立公文書館フェロー 大濱徹也氏のご逝去を悼んで

国立公文書館
首席公文書専門官 梅原康嗣

 独立行政法人国立公文書館フェロー、大濱徹也氏(享年81歳)におかれましては、平成31年2月9日にご逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。

 大濱徹也先生(以下「大濱先生」と記載します。)は、平成13年4月に独立行政法人国立公文書館(以下「当館」[註]と記載します。)初代理事に就任され、その後も、特別参与(平成17年4月~22年3月)、公文書アドバイザー(平成22年4月~25年3月)、フェロー(平成25年6月~)を歴任され、私ども職員を常に温かく、そして、時に厳しく指導してくださいました。また、理事就任前から、公文書館専門職員の養成等に関して、当館の委員等を務められました。
 ここでは、日本近代史をご専門とされた歴史家、そして筑波大学等で教鞭を執られた教育者として知られる大濱先生が当館との関わりで遺されたご事績を中心に振り返りたいと思います。

1 理事就任まで
 大濱先生が当館との関わりをもたれた時期については、当館の年報を紐解いてみますと、昭和62年にさかのぼることがわかりました。
 昭和62年6月、当館で開催された日本歴史学協会国立公文書館特別委員会委員との懇談会の出席委員6名の中にお名前を確認できます。この年の12月には、公文書館法が公布され、公文書館界において大きな画期の年であったと思われます。その後も、平成2年まで4年連続してこの懇談会に出席されました。
 昭和63年6月に施行された公文書館法は、公文書館には歴史資料として重要な公文書等についての調査研究を行う専門職員を置くと定めています。同法の「解釈の要旨」では、この専門職員は、公文書館において中核的業務を担当するとの位置づけられた一方、その専門的知識と経験の具体的内容については未確定な部分もあり、養成、研修等の体制が整備されていないとされました。このような現状と当館のみならず地方公共団体等からの要望を踏まえ、専門職員の養成及び資格制度の早急な確立へ向けて有効な措置を講ずる必要があり、当館として、それらに関する将来的な課題を検討していくために、「公文書館における専門職員の養成及び資格制度に関する研究会」を平成元年11月に立ち上げることとなりました。10名の委員のお一人として、大濱先生にご参加いただきました。12回開催された研究会は平成5年6月21日に報告書を提出しています。
 この報告書の提出を受けて、専門職員の養成のためのカリキュラム等、公文書館における専門職員の養成及び資格制度について具体的かつ詳細な研究・検討を行うため、同年11月5日には、「公文書館における専門職員の養成機関の整備等に関する研究会」が設置され、大濱先生を座長に6名の委員が選任されました。同研究会は、15回目となる平成8年7月12日に報告書を提出しますが、その間、平成6年11月15日には、第7回公文書館等職員研修会の講師として、「歴史研究と公文書」と題して講義をいただいています。
 当館では、研究会報告書を受けて、公文書館専門職員養成課程を平成10年度に発足するに当たり、その実施のためのカリキュラム編成及び講師の選定等についての検討を行うために、平成10年2月23日に「公文書館専門職員養成課程カリキュラム編成委員会」を設置しました。この委員会でも、大濱先生は、座長を務められました。
 4回開催された同委員会における検討結果を踏まえ、「公文書館専門職員養成課程実施要綱」(平成10年6月8日内閣総理大臣決定)、「平成10年度公文書館専門職員養成課程実施要領」(同6月9日国立公文書館長決定)が定められ、ついに、公文書館専門職員養成課程(現在の「アーカイブズ研修Ⅲ」の前身)がスタートします。
 記念すべき第一回となる公文書館専門職員養成課程は、平成10年11月30日から始まりました。大濱先生は、講義のほか、「個別課題研究演習」において各受講者の修了研究論文構想等について指導されたほか、公文書館専門職員養成課程運営評価委員として、論文の審査等にも当たられました。

EASTICA第3回総会での講演(10月15日)

EASTICA第3回総会での講演(10月15日)

 上述の専門職員養成に係る取組に加え、平成9年10月に日本で初めて開催された国際公文書館会議東アジア地域支部(EASTICA)の総会(第3回)・セミナーにおいて「日本のアーカイブズ-現在問わるべき課題をめぐり」と題して講演をされたほか、平成10年から11年にかけて、当館における情報公開への対応及び業務の適正化を図るため、公文書等の移管、公開等の基準の策定について検討することを目的として設置された「移管基準等研究会」の委員を務められるなど、当館との関わりが徐々に深まっていきました。

2 理事として
 平成13年3月に筑波大学を定年退官された大濱先生は、翌4月、当館理事に就任されるとともに、北海学園大学教授にもなられました。札幌、つくば、東京を忙しく往復される中で、当館においては、菊池光興館長(当時、故人)を支える理事として、強いリーダーシップを発揮され、新たに独立行政法人となった当館の改革に当たられました。筆者は、平成14年4月に当館に奉職しましたが、当時を思い返すと、菊池館長が年長であった大濱先生を立て、また頼りにされ、大濱先生もまた、諸問題に丁寧に検討を加えられ、館長の信頼に応えられるなど、お二人で独立行政法人としての当館の土台を築かれたように思えます。
 公文書館及び公文書管理に係る人材養成については、理事になられてからも、引き続き、力を尽くされました。大濱先生が講義を担当された当館主催研修を一覧にまとめたのが、(表1)です(理事時代以外を含む。)。

表1 大濱先生の当館における研修会講義一覧

表1 大濱先生の当館における研修会講義一覧

 当館内では、専門職員として相応しい資質の向上を図るため、「研究連絡会議」を平成13年度末から開催することとなりました。これは、当館における歴史公文書等の保存及び利用に関する調査研究業務の充実を図り、その成果を当館の運営に活用することを目的としています。当館の中核的業務を担うアーキビストとしての公文書専門官・公文書研究官の積極的な調査研究活動の促進を図るとともに、移管・保存、公開審査・利用及び修復等に関する諸問題について広く館職員の間で認識を共有するため、自由闊達な意見交換と、協議決定を行うことを目的として設置され、毎月第3金曜日に開催されていました。大濱先生は、理事として、この会議を主宰し、テーマの選定等にあたって、ご自身の疑問を投げかけ、職員の声を予めよく聴くなどして、日常業務の中に課題を見出し、改善・解決の道筋を考えられるように、私たち職員を親しく指導されました。
 また、国際会議等にも日本の「国立公文書館」を代表して出席されました。平成14年度には、中国・マカオで開催されたEASTICA理事会・セミナーに出席されました。理事会・セミナーだけでなく、懇親会でも、各国が文化交流として歌やダンスを披露する中、随行者である筆者たちがどうしたものか困っていると、「よし、自分が歌う。」とおっしゃってカラオケに向かったことが思い出されます。
 平成16年度には、中国・上海市档案館の外灘新館落成式典・記念国際シンポジウムに参加し、「アーカイブズは貌となりうるか」と題して講演されたほか、韓国・釜山で開催されたEASTICA理事会及びセミナーにおいても、同題でテーマ報告を行われました。
 一方で、大濱先生は、当館特別展の企画等を指導されるとともに、講演会の講師を務められました。
 その最初の例は、平成14年秋の特別展「公文書にみる戦中・戦後」における講演会「歴史としての戦中・戦後」です。その後も、平成15年秋の特別展「変貌-江戸から帝都そして首都へ」における講演会「帝都の相貌」、平成20年春の特別展「病と医療」における講演会「身体の近代史」において講師を務められました。
 これらを通じて、幅広く一般の方々に、公文書を保存・利用することの意義を分かりやすく説かれました。

3 地方公共団体の公文書館への支援
 大濱先生は、当館だけでなく、日本全国の公文書館の整備に関与・貢献されました。特に、新公文書館の設置に向け、取りまとめられた基本構想等の「はじめに」には、それぞれの公文書館への想いが率直に述べられていると思われます。ここでは、大濱先生が設置に関わられた公文書館のうちの幾つかを取り上げます。

 <板橋区公文書館>
 同館の設立に際し、板橋区公文書館開設並びに運営に関する答申(平成11年10月12日)の取りまとめに、板橋区公文書館開設懇談会(平成11年3月1日~10月12日)の会長として当られました。

 <福岡共同公文書館>
 同館の設立に至る過程で、福岡県共同公文書館基本構想検討委員会の委員長として、基本構想策定に関与されたほか、同館設置後は、同館の運営専門協議会会長を務められました。

 <札幌市公文書館>
 平成20年には、札幌市公文書館基本構想検討委員会委員(平成20年10月~平成21年5月)となり、公文書館基本構想検討委員会では委員長に選出され、平成22年11月に、札幌市公文書館基本構想を取りまとめられました。また、翌平成23年6月には、札幌市公文書館整備計画取りまとめに尽力されました。
 さらに、同市において公文書管理条例が制定されると、同条例に基づき設置された同市公文書管理審議会の委員長に選出され、ご逝去の直前まで審議に当たられるなど、同条例に基づく公文書管理等について、力を尽くされました。

4 教えを胸に
 大濱先生が様々な機会に発言してこられたことは、例えば『アーカイブズへの眼-記録の管理と保存の哲学-』(2007、刀水書房)に取りまとめられています。
 現在(いま)、貌(かお)、器、留帳、歴史的文化的価値、ヘゲモニー、档案袋・・・、常に、新たな視点とキーワードを私たちに投げかけました。
 「アーキビストは、記録資料の守護者として『記録士(司)』なる呼称がふさわしい存在です。(中略)記録の取り方、作成の仕方を提唱し、記録の管理・運営にまで発言していけるだけの器量が求められます。」
 大濱先生からいただいた教えの数々を胸に、アーキビストとしての取組みに精進してまいりたいと思います。安らかにお眠りください。

[註]
 昭和46年7月1日に総理府の附属機関(昭和59年7月1日に施設等機関となる。)として設置され(平成13年1月6日に内閣府の施設等機関となる。)、平成13年4月1日独立行政法人国立公文書館として新たなスタートを切って、現在に至っています。本稿ではそれらを合わせて「当館」としています。