宮内庁宮内公文書館・千葉県文書館共催展「皇室がふれた千葉×千葉がふれた皇室」の成果と課題

宮内庁書陵部宮内公文書館 宮間純一

1.はじめに

共催展チラシ

共催展チラシ

 宮内庁宮内公文書館は、年に1度か2度、外部機関との共催で展示会を開催している。国立公文書館、外務省外交史料館と連携して行った「平成25年春の特別展 近代国家日本の誕生」を最初として本原稿執筆時までに5回の展示会を開催してきた。こうした活動は、宮内公文書館が所蔵する資料を広く紹介するための取り組みである。
   平成27年(2015)度は、千葉県文書館との共催展「皇室がふれた千葉×千葉がふれた皇室」(9月25日~12月19日)を催した。展示期間中は、会場である千葉県文書館へ約3,000名の方にご来場いただき、付属事業として行った講演会、ギャラリートークも盛況のうちに終了した。また、2館の共編で作成した展示解説図録(発行は千葉県文書館)も多くの観覧者に手にとっていただいた。
   目標の一部が達成できた反面、課題もいくつか残った。本稿では、展示会の概要を紹介した上で、その成果と課題を覚書きとして述べておきたい。なお、展示の企画・実施は宮内公文書館・千葉県文書館の担当者間で協力して行ったが、本稿はあくまでも私見であり、文責は筆者にあることをお断りしておく。

2.展示会の概要

 本展では、明治以降の皇室と千葉の関係史をテーマとした。皇室と千葉の歴史的なつながりは、数多くある千葉県の地域史研究の中で注目されてきた分野とは言いがたい。そのため、関係資料についても伝来状況が十分把握されていなかった。
   そこで本展では、宮内庁と千葉県に残る公文書の調査・紹介に加え、地域に残る資料を可能な限り収集・提示し、千葉の近現代史のあまり知られていなかった側面に光を当てた。展示全体を通じて、明治初年から昭和20年代までの皇室と千葉の関係史を示す資料(公文書・地域資料)を体系的に紹介した。具体的には、行幸・行啓、明治大嘗会、下総御料牧場、習志野原御猟場、新浜鴨場などをとりあげた。
   章構成は以下の通りである。
       第1章 近代黎明期の千葉と明治天皇
       第2章 千葉の皇室関連施設
       第3章 行幸・行啓と千葉
       第4章 千葉からみた皇室・皇室からみた千葉
   各章の詳細および展示資料については図録にゆずり、ここでは展示の視角だけ述べておきたい。本展では、二つの立場からの“ふれる”という視座を設定した。
   一つ目は、皇室が“ふれた”千葉という視点である。明治以降、行幸・行啓が頻繁に行われるようになり、天皇・皇后・皇太子は日本各地の人びと・風景・風俗・文化・歴史などに直接ふれることになった。千葉への行幸・行啓は、明治6年の大和田原(行幸後、習志野原となる)での演習天覧が最初となる。その後、明治天皇・大正天皇・昭和天皇による行幸・行啓が何度もあった。資料上では、合計で明治天皇10回、大正天皇21回、昭和天皇27回が確認できる(皇太子時代・通過を含む)。行幸・行啓の過程では、県内各地の名所や教育・産業の状況、地域の歴史的遺物などの具体的な諸相に皇室は直接ふれることになった。
   行幸・行啓のような直接的な出来事だけではなく、ほかにも皇室はさまざまなかたちで千葉にふれている。千葉県知事からは、県勢についての奏上がしばしばあり、千葉の産業・教育・災害などに関する報告が文書で「御手許」へ上げられることもあった。さらに、県内の名産品が皇室へ献上されるなど、明治以後、皇室は多様なかたちで千葉の文物にふれることになった。
   もう一つは、千葉が“ふれた”皇室という反対方向のまなざしである。明治以降、皇室が千葉にふれる機会が多くなるのと同時に、千葉の人びとが皇室にふれる場面も増加した。
   行幸・行啓では、千葉県の官員や行在所・御小休所となった家・施設および行幸先の関係者はもちろん、一般の県民も行幸・行啓の奉迎事業や新聞などのメディアを通じて皇室にふれた。また、県内に置かれていた皇室関連の施設も地域の人びとが皇室にふれるための媒体となった。千葉県内には、皇室の狩猟場である御猟場、皇室所有の牧場である御料牧場、外賓接待の場として利用される鴨場が設置されており、それぞれが地域の人びとと関わりをもちながら運営されていた。
   本展では、以上のような観点から千葉の人びとと皇室の双方が織りなす総体として千葉の近現代史を紹介しようと試みた。

3.展示の成果と課題

展示会場の様子

展示会場の様子

 文書館における展示論は、実務担当者の立場からいくつかの議論が蓄積されてきた。その中では、文書館展示には二つの目的があるとされる。
   一つは、展示会を通じて歴史資料の面白さ、重要さを観覧者に伝え、収蔵する資料を活用してもらうきっかけを作ることにある。その対象には、歴史研究者に限らず、身近な地域史や自身の先祖・家の歴史について調査したいといった人びとも当然含まれる。
   もう一つは、博物館や図書館に比べて日本ではまだまだ定着しているとはいえない文書館の意義を広く発信し、何かを調べる必要が生じた折に自然に文書館を利用することができる層を拡大することにある。言い換えれば、今すぐ文書館に足を運ぶ動機がなくともその機能をよく理解し、何らかの知的欲求が生まれた際にいつでも利用することが可能な潜在的利用者層を増やすことをねらいとしているのである。
   本展においても、資料から描かれる歴史像を観覧者へ伝えるというだけでなく、国・地域のアーカイブズと市民をつなぐ役割を展示に期待した。つまり、宮内庁と千葉県、あるいは地域に伝来した歴史資料の面白さを紹介して活用してもらうきっかけをつくるのと同時に、二つの文書館の存在意義を広くアピールすることを目的としたのである。
   そうした観点からみれば、本展のセールスポイントは国の公文書と自治体の公文書、県内各地に伝来した民間資料が一堂に会したことであった。過去にも国と地域の文書館が連携した展示は実施例があるが、国・自治体の公文書と民間資料を県という比較的広い範囲で渉猟し、融合させた展示会はこれまでにほとんど例がない。国と自治体・地域の資料が一体となってそれぞれの特徴を示しつつ、一つの展示を構成できたことは大きな成果であったと考えている。
   ただし、課題も残った。文書館という施設で展示を行う上で担当者が必ず直面するのは、紙に書かれた文字資料をいかに魅力的に展示するかという問題である。くずし字で書かれた文書資料は、歴史研究上貴重であっても、背景知識をもたない観覧者にその面白さを伝えることは容易ではない。こうした問題を解消すべく、立体物と合わせた展示やストーリー性を重視した展示の是非などの方法論が議論されてきたが、その結論は必ずしも出ていない。目玉となる立体物を借用してくれば、「人寄せ」にはなるかもしれないが、肝心の館蔵資料が脇役に回る恐れがある。また、博物館との差異化をはかる観点から物語性を重視した展示より、文書館の役割の紹介などアーカイブズの理解・普及に徹した展示を構成すべきとの意見もある。
   展示準備にあたって、上記のような課題を認識しつつ、いくつかの工夫を行った。
   本展では、現物資料を展示するのは原則として主催2館の収蔵資料のみとした。ただし、文書資料だけではやはり興味を引きにくいと考え、写真や絵巻、絵はがき、絵図などの視覚・映像資料をできるだけ織り交ぜ、解説を平易にわかりやすくすることを心がけた。また、有償・無償の二つの図録を用意し、観覧者の関心の度合いに応じた情報提供を行った。有償図録では、展示全体および資料一点ごとの詳細な解説を記したのに対して、無償図録はあらすじを理解するのに適した内容とした。しかし、これらは従来から抱えている文書館展示の問題点に対して十分な回答を示すものではない。「模範解答」がある問いではないかもしれないが、文書館における有効な展示のあり方はこれからも模索していかなくてはならない。

4.むすびにかえて

 本稿では、宮内公文書館・千葉県文書館が共催で開催した展示会の概要を紹介し、展示会の企画・準備・実施を通じて得られた成果・課題を簡単に示した。公文書等の管理に関する法律において展示は、館蔵資料の利用促進のための手段と位置づけられているが、そのための有効な展示法はどのようなものなのであろうか。
   ともすれば、利用促進の達成度や展示の成果を入館者数の数字だけで計ろうとしがちであるが、入館者数=利用者あるいは文書館の理解者になるわけではない。一過性の数字だけではなく、展示の内容・方法を含めた検討を各館で深めていくのと同時に、今後組織を横断して議論していくことも重要であろう。各館の展示担当者は、さまざまな試みを実践し、その成果や問題点を内的に蓄積しているが、それらは必ずしも共有されていない。アーカイブズにおける展示論をより深みのあるものにしていくためには、そのような機会を設けることも必要だと考える。