台湾国史館等主催「戦争の歴史と記憶:抗戦勝利七十周年国際学術シンポジウム」に参加して

国立公文書館 統括公文書専門官室 公文書専門官 栃木 智子
アジア歴史資料センター研究員 大野 太幹

1. シンポジウムの概要

 2015年は第二次世界大戦終戦70年ということもあり、台湾においても多くの学術シンポジウムが開催ないしは計画されているが、その中でも国史館・中央研究院近代史研究所・国立故宮博物院の共催による「戦争の歴史と記憶:抗戦勝利七十周年国際学術シンポジウム」は最大規模のものと言える。同シンポジウムは2015年7月7日から7月9日にかけて台北市の圓山大飯店で開催され、東アジアから台湾・中国・韓国・日本、その他アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・ポーランド・オーストラリア・インドから参加者があった。各国から参加した研究者と文書館・博物館関係者275名に加え、報道関係者や学生など、多くの参加者があった。国立公文書館からは波多野澄雄アジア歴史資料センター長・栃木公文書専門官・大野アジア歴史資料センター研究員が参加した。

会場の圓山大飯店

会場の圓山大飯店

会場の様子

会場の様子


 シンポジウムでは開催日初日に馬英九総統が来場し、参加者に向けて挨拶を兼ねた講演が行われた。その中で、馬英九総統からは、中国における戦争の死亡者数が2000万以上に上ったこと、抗日戦争を主体的に戦ったのは国民党であったこと、国民政府軍が日本軍を中国戦線に引き付けたことにより第二次世界大戦の早期終結に対し大きな功績があったことが述べられた。また、かつての敵国であった日本とは、「日華平和条約」に基づき戦後は友好的な関係を築いており、昨年度は台湾から日本を訪れた人が約300万、日本から台湾を訪れた人が約160万に上ったことなどが紹介され、今後も日本とは恩と怨みを区別して友好関係を発展させていくことが重要だと述べられた。

 馬英九総統が来場したことからも分かるように、今次のシンポジウムは国民党による抗日戦勝利をアピールする意味合いが強く感じられた。また、別の日に行われた国立故宮博物院院長の講演においても、今年は1925年に北京で故宮博物院が設立されてから90周年であると述べられるなど、台湾の故宮博物院の正統性が主張され、さらには中国大陸時代へのノスタルジーのようなものも感じられた。

 馬英九総統の講演後は、抗日戦勝利70周年に合わせて国史館により出版された日中戦争に関する研究書(『中国抗日戦争史新編』全6冊)や、国民党や国民政府軍の関係者に関する資料集(『陳誠先生日記』全3冊、『胡宗南先生日記』全2冊など)の出版説明会が開催された。こうした体系的な研究書や資料集の出版は、日中戦争に関する研究をさらに前進させるものと期待される。

2. 波多野澄雄アジア歴史資料センター長の講演

波多野センター長の講演

波多野センター長の講演

 本シンポジウムでは、3日間で21のセッションが実施されたが、各セッションは内容に応じて3会場に分けて行われた。具体的には、A組(政治・軍事・外交関係)、B組(社会・文化・地域研究関係)、C組(文書館、博物館関係)といった内訳となっており、波多野センター長の講演は初日(7月7日)のC組のセッションにおいて行われた。

 波多野センター長の講演では、「中国の戦場における「勝利」と「敗北」の記憶」と題し、アジア歴史資料センター(以下、「アジ歴」という。)の設立経緯や目的、およびアジ歴データベースの概要を紹介するとともに、終戦後、旧日本軍関係者により作成された資料について紹介がなされた。その中で、旧日本軍関係者は敗戦後も中国(国民党ないしは共産党)に敗北したという意識は持っておらず、英米を主とする連合国軍の参戦により敗北したと認識しており、そうした旧日本軍関係者の意識が、戦後の日本人の日中戦争に対する認識にも影響している可能性がある旨述べられた。

 講演に対し、フロアからはアジ歴が3000万近い画像を無料で公開していることは素晴らしいとの感想が述べられた。また、波多野センター長が紹介したアジ歴公開資料に対して、フロアから①紹介された資料に見られる分析はどのような史料に基づいて書かれたものか、②実際には日本軍が敗北した「衡陽」の戦闘を”敗北”と認識していないのはなぜかといった質問が出された。それに対し、波多野センター長からは、同資料はあくまで第二次世界大戦終戦後に元陸軍の上級将校達が、GHQの指令に基づき所感をまとめたものであり、史実を反映したものではない。また、同資料の編さんに関わったのは華中・華南地域で従軍していた元陸軍軍人が主となっていたため、英米参戦後の航空戦で敗北したという意識が強いのに対し、中国軍に対する敗北感が希薄だったと思われる旨回答がなされた。

3. 研究報告を聞いて

セッションの様子

セッションの様子

 前述の通り、セッションは3会場に分けて行われため、栃木専門官はC組、大野研究員はA組・B組において、それぞれセッションを聴講することとした。ただし、A組・B組は会場がふたつあり、同時間帯にセッションが行われたため、すべてを聴講することはできなかった。以下、研究報告を聞いた後の全体的な所感を述べたい。

 A・B組のセッションにおける研究報告の内容は、日中戦争についての軍事的分析、蒋介石や毛沢東の戦略思想、日本人の日中戦争認識、終戦後の対日講和、汪精衛(兆銘)政権、国民政府の戦時外交、日中戦争時の国共関係、戦時における上海・重慶の都市生活、戦時の中国農村、戦時における避難民救済、戦時経済体制、戦争裁判と戦後の記憶、中国知識人の日中戦争認識、戦時における女性の活動など、非常に多岐に亘った。

 また、国際シンポジウムということもあって、韓国の研究者による重慶の韓国臨時政府に関する報告、インドの研究者による第二次世界大戦期のインド・中国関係に関する報告などもあり、日中戦争研究が戦争当事国の研究者によるものだけでなく、より多様な角度から行われているという点が印象に残った。

 また、2008年3月における国民党の馬英九の総統就任により、台湾と中国の関係は劇的に接近したが、それは学術研究の場においても例外ではなく、今回のシンポジウムにも中国から多くの参加者があり、中国における国民党研究の成果などが報告された。とくに興味深かった事例として、日本の研究者が報告を行った際、フロアから学術研究とは観点の異なる質問、例えば日本政府はなぜ中国に敗北したことを認めないのか、といったような質問が出され、それに対し中国の研究者から、より客観的な学術研究に努めるべきだとの反論がなされる場面もあった。

 今回のシンポジウムでは、国民党支持者とそれ以外の台湾の研究者との間で、抗日戦勝利に対する熱意にギャップがあるという印象を受けるとともに、一般に考えられている台湾=親日、中国=反日といった先入観が必ずしも現実に合致している訳ではないという印象を受けた。学術研究の場においても国際的な情勢は日々変化しており、そうした変化に常に敏感であるためには、今回のような国際会議に積極的に参加することが重要だと感じた。

4. 文書館・博物館による報告を聞いて

 C組のセッションでは各地の文書館・博物館等による報告が行われた。具体的には、台湾から国史館・中央研究院近代史研究所档案館・国立故宮博物院・国家発展委員会档案管理局・国民党党史館・国立中正記念堂・李友邦将軍記念館・国立政治大学映像アーカイブ研究グループ、中国から上海市档案館・九一八歴史博物館、韓国から国史編纂委員会、アメリカからスタンフォード大学フーバー研究所図書館・国立第二次世界大戦記念館・戦艦ミズーリ記念館・シェンノート将軍航空軍事博物館、イギリスから帝国戦争博物館、ドイツから歴史博物館、ポーランドからワルシャワ軍事博物館が、日中戦争ないし第二次世界大戦に関する所蔵資料の紹介や展示についての報告を行った。

 ここでは、上記の参加機関のうち、とくに日中戦争に関する文書資料を多く所蔵している機関についていくつか紹介したい。

 国史館のコレクションは、「総統副総統文物」・「個人史料」・「史料档案」・「其他档案」という4つのカテゴリーに分けて管理されており、「総統副総統文物」の中の蒋介石に関係する文書や写真資料、陳誠関係文書、「史料档案」に含まれている重慶国民政府に関する文書、汪精衛政権に関する文書、戦後の賠償や戦犯調査に関する文書などが紹介された。

 また、中央研究院近代史研究所档案館のコレクションには、「外交档案」・「経済档案」・「民間資料」の3つのカテゴリーがあるが、今回は「民間資料」の中から日中戦争期に軍事委員会参事主任・外交部長などを務めた王世杰に関係する文書(「王世杰档案」)、「経済档案」に分類されている汪精衛政権関係文書(「汪政府経済部門档案」)などが紹介された。

 国民党党史館では、日中戦争に関わるコレクションとして、「国防最高委員会档案」を所蔵しており、その中から国民党中央執行委員会の会議録、国防最高委員会による意見書や報告書、国防関係文書などが紹介された。

 上海市档案館からは、1932年の第一次上海事変に関する文書、例えば各種社会団体が作成した抗日を呼びかける告示、共産党地下組織が作成した反帝国主義を主張する宣言書、日本軍の兵士が記した陣中日誌など、また日中戦争期において日本の影響下にあった上海特別市政府の文書やフランス租界内に設置された難民救済所の写真資料などが紹介された。

 国家発展委員会档案管理局では、「国防部史政編訳局档案」・「外交部档案」の一部・「行政院会議議事紀録」などを所蔵しており、今回はとくに「国防部史政編訳局档案」の中の国民政府軍関係資料、例えば盧溝橋事件や長沙会戦、国共合作とその後の対立、ソ連による軍事援助などに関する文書が紹介された。

 以上のように、日中戦争に関する資料を所蔵する各機関が一堂に会し報告を行ったことで、網羅的にコレクションの概要や資料体系を知ることができ、非常に有意義な経験となった。また、複数言語を用いた展示等の取組み状況について発言があったり、資料のデジタル化とその提供の状況を確認しあう場面があるなど、国際的な視点からも「歴史と記憶」を共有しようとする意欲が感じられるものであった。