主な古書・古文書

紅葉山(もみじやま)文庫本

紅葉山(もみじやま)文庫本

紅葉山文庫は徳川家康が慶長7年(1602)、江戸城内の富士見の亭に文庫を設けたのに始まり、寛永16年(1639)城内紅葉山に移したのでこの名があります。家康の旧蔵本である「駿河御譲本(するがおゆずりぼん)」や「駿河御文庫本」の他、八代将軍吉宗が採訪させた各地の古文書や、長崎奉行に命じて購入させた新刊唐本、大名家等からの献上本も納められています。漢籍では、特に、明代から清初にかけての地方志・医書・随筆・詩文集・戯曲小説などが豊富で、和書では、家康が納めた金沢文庫(かねざわぶんこ)旧蔵本のほか、寛永諸家系図伝・本朝通鑑(ほんちょうつがん)・徳川実紀など、幕府官撰書の浄書本や名家の自筆本が多くあります。また、書物奉行を置いて図書を管理させ、限られた範囲のみに利用を許可したので、その図書はきわめて保存のよい状態で、当時の本箱も含めて伝わっています。

昌平坂(しょうへいざか)学問所本

写真:昌平坂(しょうへいざか)学問所本

昌平坂学問所は、寛永7年(1630)林羅山が上野忍岡(しのぶがおか)に書院を開いたのに始まり、元祿4年(1691)湯島の地に移り、寛政9年(1797)幕府の官学となり、「学問所」と改称されました。その蔵書は林家歴代の手沢本(しゅたくぼん)を基幹とし、文化年間以後、幕府がここで歴史・地誌の編集を行った際の資料や、昌平坂学問所で出版した、いわゆる官版もほとんど揃っています。
また、諸大名や学者からの入蔵も多く、大坂の町人木村蒹葭堂(けんかどう)や、近江国の大名市橋長昭(ながあき)、豊後国の大名毛利高標(たかすえ)の旧蔵書は特に優れたものです。

和学講談所本

写真:『管見抄(かんけんしょう)』

塙保己一(はなわほきいち)が寛政5年(1793)に創立した和学講談所は、同7年(1795)官立に準ずる機関となりました。そこでは、講学・研究の他、しばしば門人逹を京都・伊勢等に派遣して古書を写させ、また、古典の研究・校訂や、正続群書類従・史料・武家名目抄などの編修資料として多くの書物を集めたため、その旧蔵書ははなはだ数量も多くかつ学術的価値の高いものとなっています。

 医学館本

写真:『医学館本』

幕府の医官多紀氏が明和2年(1765)創設した私塾躋寿館(せいじゅかん)は、寛政3年(1791)幕府直轄となり、医学館と改称しました。その蔵書はいずれも古書に詳しかった多紀氏歴代が収集、校訂したもので、紅葉山文庫本の医書と合わせて、本文庫が明清医学書の宝庫といわれている所以となっています。

洋書

写真:『洋書』

明治政府が、調査や業務の参考のために購入した英・米・仏等で出版された政治・法律・科学技術等の書籍です。内閣のほか、外務省、内務省、大蔵省、司法省、農商務省からも移管されました。明治政府がどのような欧米文献を参考に行政をすすめていたかを物語る資料でもあります。なお、昭和20年(1945)の空襲でフランス語及びドイツ語の書籍の多くは焼失しました。

その他の図書

写真:『東大寺文書』

明治政府によって、古書・古文書の収集が行われ、「東大寺文書」や「大乗院文書」、高野山釈迦文院(しゃかもんいん)旧蔵の漢籍、近江の豪族朽木(くつき)氏や、室町幕府の政所代蜷川(にながわ)氏家伝の古記録類、押小路・広橋・坊城・万里小路(までのこうじ)・甘露寺(かんろじ)・中御門(なかみかど)・山科家など堂上諸家の旧蔵書等が内閣文庫に収められました。そのほか、明治初年に政府が調査・翻訳した諸外国の歴史・政治・法律書の稿本類、明治から昭和20年までの官庁刊行物等を所蔵しています。