「終戦の詔書」について |
昭和20年(1945)8月15日正午、戦争終結を国民に伝える玉音放送がラジオで放送されました。
玉音放送では、戦争終結を国民に伝えるため、前日の8月14日に作成された「終戦の詔書」の内容を、昭和天皇が朗読した録音盤(玉音盤)が用いられました。
ポツダム宣言受諾(じゅだく)を表明した「終戦の詔書」は、8月14日の閣議において決定されました。
閣議では、数回の休憩を挟みながら詔書案の修正が行われました。
閣議と並行して、一方では内閣理事官の佐野小門太(さの こもんた)による公布原本の浄書(じょうしょ、清書のこと)が進められていました。
この浄書作業は、通常では閣議決定後になされるものですが、時間の関係で閣議決定を待たずに始められました。
そのため、詔書の公布原本にも修正を加える必要が生じましたが、書き直す余裕がなく、用紙を削り、あるいは括弧を用いて字句を書き足すという、通常では行うことがない対応がとられました。
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展示箇所と見どころ |
(1) 修正が施された部分 展示期間:8月8日(金)〜14日(木)
「終戦の詔書」は8月9日、ポツダム宣言の受諾が決定された後に文案の準備が始められたとされています。その文案をもとに、8月14日の閣議で詔書案の検討が行われました。
閣議が長時間に及んだことから閣議と併行して浄書が進められていましたが、閣議で文案が修正・追加され、公布原本も修正する必要が生じました。しかし、全体を書き直す時間がなかったことから、
展示箇所で見られるように、用紙を削り、あるいは括弧を用いて字句を書き足すという、通常では行うことがない対応がとられました。
修正箇所の「戦局必スシモ好転セス」は、陸軍を中心に強い反対を受けて修正されたことが知られています。
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(2) 御名御璽の部分 展示期間:8月15日(金)〜18日(月)
「終戦の詔書」は閣議における文案の検討や浄書の作業が行われたのち、8月14日深夜に昭和天皇による朗読の録音が行われました。録音されたレコードは天皇の肉声が記録されたことから「玉音盤」と呼ばれています。
玉音放送は15日正午に行われました。展示箇所には、玉音放送の一節として広く知られている「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の部分が確認できます。
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(3) 副署の部分 展示期間:8月19日(火)〜21日(木)
「終戦の詔書」には昭和20年8月14日の日付とともに、内閣総理大臣鈴木貫太郎をはじめ、海軍大臣米内光政、陸軍大臣阿南惟幾、外務大臣東郷茂徳など、当時の鈴木内閣の閣僚全員の署名があります。
陸軍大臣の阿南は、「終戦の詔書」の公布原本に署名した後、8月15日未明に自決しています。
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