大黒屋光太夫の漂流記録 ③
光太夫らのペテルブルクでの体験と皇帝エカテリーナ二世への謁見
37 北槎聞略
光太夫らは寛政3年(1791)1月、キリル=ラクスマンに伴われ、首都ペテルブルクへ赴き、政府要人へ帰国を訴え出ることになりました。しかしこの直前、九右衛門が病死し、帰国を希望する漂流民は3名となりました。
ペテルブルク到着からしばらくして、ロシア皇帝の離宮があるツァールスコエ・セローにキリルと共に向かい、寛政3年5月28日(一説には6月28日)光太夫はエカテリーナ二世に謁見しました。光太夫は女帝からの種々の質問に答え、帰国願を言上しました。
光太夫は女帝エカテリーナ二世と謁見した際、女帝の右手甲に、3回唇を軽くふれ、拝礼します。女帝は光太夫の帰国願を見て「ベンヤシコ」(ベドニャーシカ)と言い、その後に「是ハ憐れむべしという語なり」という説明が付してあります。女帝が、光太夫らの境遇を嘆いたことがわかります。
画像の2枚目はヨーロッパの図、3枚目はペテルブルクの図。どちらも光太夫が持ち帰った地図を模写したものです。
画像の4枚目はロシアで手に入れた顕微鏡の図です。