品川沖に鯨出現

寛政10年(1798)5月、武蔵国荏原郡えばらぐん品川漁師町(現在の東京都品川区)の品川沖に現れた鯨

30 羽田沖漂着鯨の図(雑事記所収)

請求番号213-0032
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 天保年間までの雑事を収録した資料『雑事記』には、このとき漂着した鯨の図が収められています。

31 品浦斃鯨(視聴草所収)

請求番号217-0034
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 漁師たちはもりを持ち出して、船で現場へ向かい、鯨を仕留めました。
 同月4日、仕留められた鯨は、幕府代官大貫治右衛門光豊が取り調べ後、第11代将軍徳川家斉が浜御殿(現在の浜離宮恩賜おんし庭園)で上覧しています。その後、鯨は将軍の「厚キ思召」により、捕らえた者たちに下賜されています。

異国からの小船到来

宝永2年(1705、一説には宝永5年とも)7月、三宅備前守康雄の領地である三河国渥美郡田原(現在の愛知県田原市)の海辺への琉球船漂着

32 諸留書(承寛襍録)

請求番号150-0122
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 船の大きさは一丈二尺(約3メートル60センチ)、幅が四尺(約120センチ)、人は乗っていなかったようです。
 奇妙なのはその船内にあった道具でした。直径が二寸三分(約6.9センチ)のかぶとが9つ、一尺六寸程(約50センチ)の長刀一振のほか、米も積まれていましたが、その大きさは日本の米の半分ほどだったとか。積まれていた物の小ささから、小人島から流れてきたのではないかと噂されたようです。