ベトナム漂流 ①

明和2年(1765)10月、常陸国多賀郡磯原村(現在の茨城県北茨城市)の姫宮丸(船頭左源太ら6名)の安南国(ベトナム)への漂流と体験

4 安南国漂流記

請求番号185-0168
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 船頭左源太ら漂流民たちは、ベトナムから長崎へ送還された際、長崎奉行所へ呼び出され、そこで「踏絵」を命じられ、その後、漂流から帰国までの事についての尋問を受け、揚屋あがりや(牢屋)へ収容されています。これは左源太らが特別な訳ではなく、漂流民が長崎奉行所へ送られてきた場合の通常のやりとりでした。特に①キリスト教への入信・勧誘の有無、②船に武具の類を積載していないか、③外国で商売を行わなかったのかの3点が厳しく取り調べられました。

ベトナム漂流 ②

寛政6年(1794)9月、陸奥国名取郡閖上ゆりあげ村(現在の宮城県名取市)の大乗丸(船頭清蔵ら16名)のベトナム漂流と体験

5 南漂記

請求番号185-0141
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 清蔵ら一行は、安南国の城下に案内されます。ここで安南国の「国王」に謁見し、国王からは5貫文の銭と白米2俵を賜り、さらに不自由があれば、遠慮なく役人へ申し付けるようにとの言葉を受けています。清蔵らは国王を、他国にもいない大変能力のある方だと感想を述べています。この国王とは、阮福暎げんふくえい(嘉隆帝)のことで、ベトナム阮朝の初代皇帝です。
 漂流民たちは寛政7年4月、広東かんとんを経由し、翌年1月に長崎へ帰着しました。帰国できたのは16名のうち9名でした。