武士の漂流
文化12年(1815)8月、薩摩藩士の古渡七郎左衛門(右衛門とも)ら49名の漂流と体験
8 文化薩人漂流記
請求番号185-0199
奄美大島での在番役交代のため帰航の途中、古渡らの船は強風に煽られはじめたため、荷物を捨てるなどし安定を保とうとしますが、収まりません。そこで彼らは髪を切り、讃岐金毘羅や伊勢大神宮へ船の安全を祈願しています。またいつごろ近くの「地方」(島)等へ到着するかを神鬮で占っている様子もうかがえます。
9 街談文々集要
請求番号211-0104
「街談文々集要」には古渡らの船が強風に煽られる様子が描かれています。漂流からおよそ2週間、近くに中国とおぼしき大陸が見えてきました。古渡らは「琉球人、薩州江通路の義ハ唐国江対シ差合之由、兼て承り候ニ付」(琉球人が薩摩藩と交流することは、清国に対して差し障りがあると聞いていたので)とし、乗船していた琉球人の服装等を日本風に替え、実孝を孝助、伊久貞を矢太郎と名前を付けています。
古渡らは文化13年6月に清国船に分乗して長崎へ送還されました。この間、水主と船頭4名が亡くなりました。