異国の「堂」漂着

伊豆国三宅島への異国の堂漂着

33 伊豆七島志髄

請求番号173-0153
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 漂着したお堂はいずれの国のものかはわからないものの、良くできた作りであったので、島の人々は破壊せずに引き揚げて補修し、瑠璃光仏を安置したとあります。

橋柱の漂着

文政10年(1827)4月11日、越後国椎谷(現在の新潟県柏崎市椎谷)の海中で発見された橋柱

34 娥眉橋柱(視聴草所収)

請求番号217-0034
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 現地の漁民はこの漂着物について、領主堀近江守直哉なおちかへ報告し、同年8月、堀は月番老中の松平和泉守乗寛のりひろへ届け出ています。
 「視聴草」には、この橋柱図が描かれています。この橋柱は、中国四川省にある名山・峨眉山がびざんの橋柱と考えられます。