津太夫らの世界一周 ①

寛政5年(1793)11月、陸奥国宮城郡寒風沢さぶさわ浜(現在の宮城県塩竃市)の水主かこ津太夫ら16名のロシア漂着

13 環海異聞

請求番号185-0113
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 出港してからおよそ半年、彼らはようやくアリューシャン列島の島に漂着しました。津太夫らは数ヶ月の漂流で「至極疲候て、不覚」にもすぐに寝てしまったようです。
 寛政7年、津太夫らはカムチャッカ経由でオホーツク港へ向かいました。ここで役人の取り調べを受けた後、再び出立し、イルクーツクへ送られました。寛政8年のことです。彼らはこのイルクーツクで8年間生活することになりました。この間、16名のうち3名が病死しています。
 イルクーツクで津太夫らの通訳を担当した人物は、日本人の新蔵でした。彼は大黒屋光太夫とともにロシアへ漂流し、ロシアに残っていたのです。津太夫ら一行の左平は、「誠に不思議の面会」と新蔵へ話しています。
 寛政11年2月28日、牡鹿郡小竹浜(現在の宮城県石巻市)の吉郎次がイルクーツクで病死しました。73歳でした。彼はロシア正教の信徒ではないため、津太夫らは「寺」(教会)へは送らず、日本風の石塔を建て、墓地へ埋葬しました。