ジョン万次郎漂流記
天保12年(1841)正月、ジョン万次郎らの漂流とアメリカでの体験
10 中浜万次郎漂海記
請求番号185-0205
万次郎らが漂着したのはかつて同じ土佐国の長平や遠江国の甚八らが漂着した鳥島でした。鳥島で5ヶ月ほど過ごした万次郎らは、異国船を見かけます。しかし20キロほど離れているため、声を出すも届かず、泣く泣く神仏に祈りながら見送りました。ところがその異国船から小船が降ろされ、こちらに近づいてきました。この異国船こそアメリカ船ジョン・ホーランド号でした。
11 漂客談奇
請求番号185-0202
万次郎は捕鯨船員として太平洋を航海します。この航海中にホーランド号のホイットフィールド船長より「ヂヨン」(ジョン)という愛称で呼ばれました。
天保14年、ホーランド号はアメリカ東海岸マサチューセッツ州・フェアヘーブンに寄港。ここで万次郎は3年余りにわたり、航海術・測量学・造船・英語・数学等の教育を受けました。
嘉永3年(1850)、アメリカ船サラボイド号に便乗し、同4年に琉球に上陸。同5年6月に土佐藩に引き渡され、実に12年ぶりに故郷へ帰還しました。その後、彼は幕府から旗本に取り立てられ、故郷の中浜を姓として授かり、通訳や造船など多岐にわたる活躍を見せます。日米修好通商条約の批准書交換のために幕府が派遣した海外使節団の一人として、咸臨丸にも乗船しました。
画像の2枚目は万次郎らの世界周航図です。