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柳北奇文(りゅうほくきぶん)

[請求番号 204-0157]

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成島柳北(なるしまりゅうほく)(1837-84)

明治7年(1874)に『柳橋新誌』が刊行された後、柳北は、同年9月に『朝野新聞(ちょうやしんぶん)』の局長となり、以後、政府の方針を軽妙に諷刺し、読者の喝采を浴びました。しかしその結果、明治9年(1876)に讒謗律(ざんぼうりつ)・新聞紙条例違反の罪で、禁獄4ヶ月と罰金100円の刑を受け、入獄(出獄後「ごく内ばなし」を連載)。自由民権運動が高まり、明治15年(1882)に立憲改進党が結成されると、柳北はこれに入党。新聞紙上等で言論活動を展開しますが、同17年11月30日に病のため亡くなりました。享年48歳。

展示資料の『柳北奇文』は、明治9年(1876)から翌10年にかけて、『朝野新聞』の「雑録」に載せた柳北の文章を収録したもの。「権兵衛ノ小言」「猫ノ会議」「弥次馬ノ説」など通俗的な題名を付し、和漢洋の故事を引きながら、政府や官僚を諷刺しています。明治11年刊。全2冊。


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