ここから本文
伝統的な武具や甲冑では西欧の近代的装備の軍隊に対抗できないことは、幕末の洋学者や開明的な武士の間ではすでに自明の事実でした。積極的に西欧の軍備を学び導入しようという気運は、ペリー来航後、急速に高まります。
展示資料の『洋外礟具全図』は、下総国佐倉藩の洋学者で医師の鏑木立本が訳し、前田又四郎が原図を模写した洋式砲の精巧な図。佐倉藩に召され江戸で「又新堂」を開塾していた洋学者の手塚律蔵が校閲し、嘉永7年(1854)8月に又新堂から出版されました。内容は「業謁垤児蘭土(ネーデルランド)重砲兵野戦諸具」の図ほか。安政3年(1856)に箱館に開設された洋学・兵学の研究教育機関、「諸術調所」の蔵書印が捺されています。全2帖。
本文ここまで