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幕臣には役所で事務を司る「役方」と江戸城内の警備や将軍の警護等を職務とする「番方」がありましたが、どちらも武士に変わりはなく、(現実はともかく)武術の修練は不可欠の心得とされていました。
武術といっても、剣術・槍術・馬術・水練とさまざま。なかでも「水稽古」(水泳の稽古)は「御徒組」に属する幕臣にとっては必須で、毎年5月から8月まで、大川(隅田川の下流)で水泳の「御用稽古」が行われ、非番の者は必ず参加したということです。
稽古の成果を将軍が上覧したのが「水泳上覧」。各組の「御徒」計数十名が、将軍の御座船の前で、水泳や「甲冑泳ぎ」「旗取り」などの技芸を演じました。
展示資料は、藤川貞(号は整斎)の雑録『弘化雑記』から、弘化2年(1845)7月18日に佐賀町(現・江東区佐賀1-2丁目)付近の大川で催された「水泳上覧」に関する絵図。参加者が、将軍の御座船の前まで二百数十メートル泳いで水泳の技術を披露した様子がうかがえます。
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