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蛮蕪子(ばんぶし)

[請求番号 166-0189]

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高橋景保(たかはしかげやす)(1785-1829)

近藤重蔵(守重)と高橋景保は、どちらも書物奉行を務めたのち悲惨な最期を遂げましたが、悲惨さの程度において、景保の最期は重蔵のそれにまさります。

文政11年(1828)10月10日夜、現在の台東区浅草橋3丁目にあった天文台下の景保の屋敷が捕り手に囲まれ、景保は重罪人として捕らえられ獄に入れられました。理由は、オランダ商館の医師シーボルトに日本の地図など国外持出しが禁じられていた資料を提供した事実が発覚したため。景保は2年前に江戸滞在中のシーボルトを訪ね、資料の交換を約束しましたが、それが景保ほか関係者の逮捕(シーボルト事件)につながりました。

景保は翌12年(1829)2月16日に獄中で病死(45歳)。死骸は塩漬け保存され、翌年3月に「重々不届之至ニ付、存命ニ候得者、死罪仰付者也」(存命していれば死罪)なる判決が下されたのち、源空寺(現・台東区東上野6丁目)に埋葬されました。

展示資料の『蛮蕪子』は、景保の逮捕と獄死を中心にシーボルト事件の顛末を記した書。書名は景保が「蛮蕪」と号したことに由来しています。全1冊。


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