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旗本御家人II 幕巨たちの実像
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幕末から明治へ

成島柳北(なるしまりゅうほく)(1837-84)

成島柳北、名は弘(惟弘・温とも)通称は甲子太郎。号は確堂、柳北ほか。天保8年(1837)2月、幕府奥儒者成島筑山の三男として誕生。安政元年(1854)、18歳で家督を継ぎ、奥儒者見習に任じられ、『御実紀(徳川実紀)』等の編纂にも加わる。同3年、20歳で奥儒者となり、将軍の侍講を務める。文久3年(1863)8月、狂詩で幕閣を諷刺したことを咎められ閉門。謹慎中、英語を学ぶ。慶応元年(1865)9月、歩兵頭並に登用。12月、騎兵頭並に転じる。同2年、横浜でフランス式三兵伝習に従事。同3年5月、騎兵頭に昇進。同4年(明治元年)1月、外国奉行。ついで会計副総裁に就任。4月、家督を養子に譲り、隠棲。

明治5年(1872)から翌6年にかけて、東本願寺法主現如に随行して欧米旅行。同7年、『柳橋新誌』刊行。9月、朝野新聞に入社。同9年2月、讒謗律・新聞紙条例違反で禁獄4ヶ月・罰金100円の判決が下り、入獄。明治17年(1884)11月30日、没。48歳。

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