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お江と家光・忠長

 2代将軍秀忠には正室お江(ごう)の子として2人の男子がいました。長男竹千代(家光)と次男国松(忠長)でした。一説には秀忠とお江は国松を寵愛し、世継ぎは国松ではないかとの噂が立ったといいます。これに危機を感じた竹千代乳母の福(春日局・かすがのつぼね)は、家康に訴え、家康が嫡子の扱いを明確にしたことで、竹千代が世継ぎに決定したといわれています。

武野燭談(ぶやしょくだん) [請求番号: 170-0152]

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 家康から綱吉に至る将軍家や大名・旗本の事績・言行録。著者は幕臣木村高敦(きむらたかあつ)とも。宝永 6 年(1709)成稿。家康が竹千代と国松(国千代)へ菓子を渡す際に、嫡子の扱いを区別している場面が記されています。全6冊。和学講談所旧蔵。