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家康の内政・外交

 家康は将軍任官の慶長8年(1603)に、三河国や遠江国の諸寺社に対して、数多くの寺領寄進状・社領寄進状を発給します。一方で、畿内近国の諸寺社へも寄進状を発給していることが資料から伺えます。また、慶長20年(1615、元和元年)、豊臣家を滅亡させた直後にも、数多くの寺領寄進状・社領寄進状を発給しています。
 徳川家の天下が確立した後の7月7日には「武家諸法度」、同月17日には「禁中並公家中諸法度」という、武家全体が守る基本法と朝廷統制の要となる法が出されました。
 また、関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)、家康は東アジアから東南アジアへと渡航する商船に朱印状を発給することで、海外貿易の統制に着手します。同年10月には安南国(あんなんこく、ベトナム北部)への返書で、日本に来航する船の安全を保障するとともに、朱印状を所持しない日本商船の安南での交易禁止を求めました。ここに朱印船貿易が開始されます。 こうした外交文書を担当したのは、西笑承兌(さいしょうしょうだい)、三要元佶(さんようげんきつ)、以心崇伝(いしんすうでん)の3人の臨済宗の僧侶でした。

徳川家判物并朱黒印(とくがわけはんもつならびにしゅこくいん) [請求番号: 特108-0001]

 資料は、「河内国道明寺(どうみょうじ、大阪府藤井寺市)に出された寺領寄井進状

徳川家判物并朱黒印(とくがわけはんもつならびにしゅこくいん) [請求番号: 特108-0001]

 資料は、摂津国住吉社 (大阪市住吉区)へ与えられた社領寄進状

御触書(寛保集成)(おふれがきかんぽうしゅうせい) [請求番号: 特036-0003]

 「御触書」は8代将軍吉宗が家康以来の幕府が発した法令の編集を命じて作成されました

禁中並公家中諸法度(きんちゅうならびにくげちゅうしょはっと) [請求番号: 146-0557]

 全17ヵ条からなる、江戸幕府の朝廷統制の基本法令

外蕃書翰(がいばんしょかん) [請求番号: 184-0376]

 長崎奉行や御書物奉行を務めた近藤正齋 (重蔵、1771~1829)が幕府の外交関係資料を編纂して作成した「外蕃通書」の参考図録

異国渡海御朱印帳(いこくとかいごしゅいんちょう) [請求番号: 184-0256]

 幕府が日本から海外渡航する商船へ交付した異国渡海朱印状の控帳