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家康死去後も幕府を支えた阿茶局

 阿茶局は名を須和(すわ)と言い、父は武田家家臣飯田直政で、弘治元年(1555)に生まれたと言います。今川家家臣神尾(かんお)忠重へ嫁ぎますが、天正5年(1577)に忠重が死去後、家康に仕え、阿茶局と称します。
 慶長19年(1614)の大坂冬の陣では、徳川方の和睦の使者として本多正純とともに、豊臣方の使者常高院(じょうこういん、淀殿妹)と交渉を行いました。なお、交渉場所は京極若狭守忠高の陣で行われました。
 阿茶局は、後に従一位に叙され、神尾一位殿と称されました。

大坂冬陣記(おおさかふゆのじんき) [請求番号: 205-0131]

 林羅山が記したと言われています

譜牒余録(ふちょうよろく) [請求番号: 157-0127]

 「寛政重修諸家譜」編纂のため作成された資料

東武実録(とうぶじつろく) [請求番号: 150-0016]

 松平家忠の孫である忠冬が、幕府の命により編修した秀忠の事績録