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方広寺鐘銘事件

 方広寺(ほうこうじ)は豊臣秀吉が天正14年(1586)に大仏を安置して建立した天台宗の寺です。その後、地震や火災で崩壊した大仏殿等を、秀頼が再建し、慶長19年(1614)に竣工しました。
 豊臣側は片桐且元が駿府に向かい、大仏の開眼供養(かいげんくよう)の日時等について、家康に了承を得つつ準備を進めていました。ところが、方広寺の鐘銘に「関東不吉之語」があるとし、供養の延期を命じられました。問題となった鐘銘は「国家安康」「君臣豊楽」の文字で、徳川家を呪い、豊臣家の繁栄を祝う内容と解釈したのです。

駿府記(すんぷき) [請求番号: 165-0039]

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 慶長16年(1611)8月から元和元年(1615)12月までの徳川家康の動向を記した書。著者は後藤庄三郎光次(1571~1625)もしくは林羅山(1583~1657)とも。資料には、問題となった方広寺の鐘銘が記されています。全1冊。昌平坂学問所旧蔵。