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関ヶ原の戦い

 慶長3年(1598)8月18日、豊臣秀吉は伏見城中で63歳の生涯を閉じました。幼い秀頼に政務はできず、豊臣政権の運営は、五大老(徳川家康・毛利輝元・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝)・五奉行(浅野長政・石田三成・増田長盛・長束正家・前田玄以)に委ねられました。しかし前田利家の死去などにより、そのパワーバランスが大きく崩れ、徐々に家康が中心となって豊臣政権の政務を取り仕切っていきます。こうした状況を快く思わない五奉行の一人石田三成は大谷吉継や五奉行の増田長盛・長束正家・前田玄以らを巻き込み、反家康派を形成。五大老の一人毛利輝元を総大将とし、家康に対して挙兵します。
 慶長5年(1600)9月15日、家康方約7万人、三成方約8万人が関ヶ原(岐阜県不破郡)で対峙しました。関ヶ原の戦いです。一進一退の攻防が続いていましたが、「金吾」(小早川秀秋)の裏切りを契機に三成方は総崩れとなり、家康方が圧勝。関ヶ原の戦いは終結しました。
 慶長8年(1603)2月12日、家康は征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。武家にとって伝統的な官職である将軍任官は、家康が豊臣政権五大老の地位を脱し、武家の棟梁としてその頂点に立つ重要な契機となりました。

時慶卿記(ときよしきょうき) [請求番号: 159-0211]

 公家の西洞院時慶(にしのとういんときよし、1552~1640)の日記

落穂集(おちぼしゅう) [請求番号: 170-0076]

 江戸時代の兵法家大道寺友山(だいどうじゆうざん)著

当代記(とうだいき) [請求番号: 150-0049]

 戦国から江戸時代初頭の国内の政治や経済等の動きを詳細に記した書

朝野旧聞裒藁(ちょうやきゅうぶんほうこう) [請求番号: 258-0010]

 林述斎が監修し、宮崎成身・戸田氏栄ら幕臣21 名が24年間の歳月をかけて天保13 年(1842) に完成させたもの